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第125回少林寺学び工房「備長炭を焼く 炭焼きを仕事」

第125回少林寺学び工房「備長炭を焼く 炭焼きを仕事」

日時:令和8年2月28日  講師:津村 衛さん

紀北町は小さな町です。子供たちが目にする職業も少ないです。けれど、魅力ある仕事をしている方はたくさんいらっしゃいます。そんな仕事人の魅力を伝えたい、そんな思いで第125回少林寺学び工房を開催しました。第125回は炭焼き職人の津村衛さんにお越しいただきました。お話をまとめましたので、ちょっと長いですけど、読んで頂けたら幸いです。

1.なぜ?

初代は父親。平成元年に父親が突然、炭焼きをなると言って仕事を辞めた。当時の自分は炭焼きって何なのか全くわからなかった。三か月後、和歌山県で紀州備長炭の焼き方を学んだ父が尾鷲に帰ってきた。それから窯作りや木の伐採の手伝いをした。365日休みのない仕事であり人間の都合に合わせてはくれない仕事から遠ざかりたくて、東京の大学に行った。

大学時代に旅行会社でアルバイトをした。旅行プランを作りながら考えたのは尾鷲のこと。尾鷲にはプランに必要ないろいろなものがあった。そのうち尾鷲で宿を作りたいと思うようになっていた。

夏はクーラーで涼しく冬は暖房で温かい。都会の暮らしで自分の体内が狂ってくるのが分かった。思えば初めて東京で歯磨きをしたとき、水の不味さにうがいもできなかった。でもいつの間にか慣れていった。父親が東京に来て「なんだ、この水は!」と言った。もやは何の疑問も持たずうがいをし、ご飯を炊いていた自分に気付いた。炭焼きが自分には合っていたのか。木の伐採のために上った高い山から見る景色。夏は暑く冬は寒い尾鷲の暮らし。「やっぱり尾鷲に帰ろう」と思った。

4年前前職を辞めて本格的に炭焼きの仕事にとりかかった。

2.どうやって?

 木は400℃になると炭化を始める。500℃くらいで着火する。炭化温度と着火温度の差を利用し酸素を遮断して原木となるウバメガシを炭化させる。ひと窯に4トンのウバメガシを入れる。窯は四つあるので1回で16トン。窯出しまで2週間だから、ひと月に32トンの原木が必要になる。原木は志摩市まで行って切ってくる。4トンの原木を入れて備長炭になるのは500kgくらいになる。ウバメガシは曲がりくねっているので、切込みを入れてまっすぐにする。この作業を木造りという。窯の中の温度は250℃くらい。前回の焼きから窯の温度が下がりきらないうちに次の木を入れる必要がある。250℃はぎりぎり人間が入れる温度。目出し帽を被って入るのだが靴が燃える。床に敷いている木も燃える。木を入れて、窯の口で木を燃やすのが3日間。炭化が始まると窯口にレンガで蓋をする。窯の後から煙が出るのだが、この煙だけで窯の中の状態を判断する。炭化している時の匂いはすごく臭い。ツンとくる。きつい匂い。煙の色が青みがかかってくると炭化を終わっている。匂いも変わる。煙の状態は1時間毎にチェックする。炭化がおわると、ねらしという作業に移る。ねらしは24時間かかる。ねらしはいつ始まるかは分からない。だから大変。人間がスケジュールを決められない。ねらしが始まると泊まり込み、つきっきりとなる。窯口のレンガを1個ずつ外していくと、窯の中も少しづつ明るくなる。いよいよ窯出しとなる。窯の中はおよそ1200℃。6時間から8時間かけて炭を取り出す。灰をかけて急冷する。表面が白くなる。これが白炭と呼ばれる所以。炭は出来栄えで16種に分ける。どんな炭が調理に合うかは、その料理人さんの好み。

3.仲間

従業員は10人いる。個性的でとにかく楽しい。毎日面白きってく。汗だくでしんどいけど、楽しきってく。週休2日にしているが、頼まないと休んでくれない。仕事の合間に備長炭でいろいろ焼いて食べる。餅、パン、ブリ、干物、鯛焼き、お菓子、炭で焼いたらなんでもうまい。ここに来るまでの経歴や目標も様々な人が集まっている。本当にいいメンバー。(3人のメンバーの個性をお話してくださいましたが、割愛させていただきます。とても興味惹かれる人達でした)

4.これから

全国各地の名店で津村の備長炭を使ってくれるようになった。「炭は食材のうま味を出すための、一番のわき役になりたい」と思う。

約1時間の講演の後、質疑応答をしました。これがとっても良い時間で、21:00となったのでやむなく打ち切りましたが、その後も良い時間は続き、参加者がお互いに名刺交換をしてつながってくれました。講演をきっかけに参加者同士がつながっていく。これが僕の一番やりたいことです。ちっちゃい町だからこそみんなでつながって町を元気にしていきたい。

法話「不具こそ良けれ」

三重海山道院では修練の時には必ず「法話」を行います。これは少林寺拳法が身体と精神の両方を鍛え整える拳禅一如の修行法であるからです。

「不具こそ良けれ。完璧なんてないが、だからこそ良い。」

これは、陶芸を学んでいる息子がくれた言葉です。

34年前に道院長である私が全国学生大会(於 日本武道館)に

出場した時の演武ビデオを、同窓会を機に親友が復活再生してくれました。基本動作や構えが今と変わらないことに苦笑いをし、最初に何を学ぶかが本当に大事だと思いました。そんなことをFBにあげていたところ、沖縄に住む息子が言葉をくれました。以下は息子の言葉です。

「誰に学ぶか、何を学ぶか、何人から学んだかが技に深みを与えるのかもしれないね。たとえ骨格が変わっても師が変わっても歳をくっても変わらない癖が自分自身そのもので、貴方らしさ。って、誰かが言ってた(笑)。不具こそ良けれ。完璧なんてないが、それでこそ良い。」

第124回「少林寺学び工房」創作書家 伊藤潤一さん

2026年1月10日(土)

第124回特別講座「少林寺学び工房」は、創作書家の伊藤潤一さんに来ていただきました。約1時間の講演のあと和紙に大きく書いて頂きました。講演の締めくくりは「始める時は一人。それから仲間を集めればいい。一人が手を挙げることで変わることがある」でした。45人が見守る中、和紙に書いた字は「人人」でした。講演の要旨と「人人」の字の意味について、少し字数は多いですが、時間のある方は是非お読みください。最後に潤一君から参加者一人ひとりにハガキサイズの書がプレゼントされました。

 書を始めたきっかけについては、ある時四日市で書の展覧会があった。作品を前にして人と人とがコミュニケーションをとっていた。自分も人と人とがつながっていく何かがしたいと思った。そこで百均で筆と墨を買い、駅前の路上も座って書くパフォーマンスを始めた。あの時、展覧会と出逢わなかったら、百均に行かなかったら、今の僕はいない。でも全然売れなくて、へこんでいた。いつもちょっかいをかけてくるおじさんがいた。そのおじさんが作品を買ってくれた。一万円で買ってくれた。紙一枚に一万円。そのおじさんが「作品を買うんじゃない。お前の将来を買うんだ」と言ってくれた。その気持ちに応えないといけないと思って路上で書き続けた。また落ち込んだときにそのおじさんが現れて「お前の人生を書うわ」と言って一万円を置いてくれた。あとで分かったことだけど、そのおじさんは有名な書家だった。

今、個展を休止している。去年冷静になって考えた。一年の三分の一、約100日ギャラリーにいた。自分の限りある時間をギャラリーで過ごしていていいのかという思いがあった。それまで作品を売ってこなかった。東京で初めて個展で作品を売った。書けば売れるようになった。アーティストとしては恵まれたことだと思う。アーティストとして売れるようになると、自分がビジネスの歯車の一つとなっているという違和感が生まれた。書けば売れるとなって、自分自身の中でいいもの(作品)と悪いもの(作品)の区別がつかなくなるなと思って、去年9月に休止を決めた。「何のために」がずれてしまわないように。

旅をしてほしい。海外に行ってほしい。日本の素晴らしさに気付いてほしい。日本人はどれだけ尊敬されているか、言語の大切さがよく分かる。カンボジアには歴史を学びたくて行った。ポルポト時代のジャーナリストの一ノ瀬泰造の墓にも行った。今でも村の人が管理してくれていた。台湾も行った。日本海軍兵が神様として祭られている。イタリアに行ったときに持っていたのは3万円だけ。お金がなくて小さな舟に潜り込んで寝た。お店のマスターに気に入ってもらって、その店で働かせてもらって、泊めてもらって、路地裏で書を書いて売って、日本に帰るころには少し増やして帰った。外国に行くときにはこんにちはとありがとうの言葉を覚えて行くこと。あとはなんとかなる。また行きたい国もあれば行きたくない国もある。今日本人が尊敬されるのは、以前の日本人の行いが良かったから。今の僕たちの行いが未来の日本人の信頼になる。未来の人に良いものを残さないといけない。

19歳から町づくりをやってきた。松阪でこんなことができたらいいなと。29歳の時に伊勢志摩サミットの演出をした。言葉に説得力がついてきた。30歳から動き出して、35歳で会社を辞めて株式会社「KABUKU」を作った。松阪ナイトミュージアムもてがけた。39歳まではやりたいことを実行する。文化と観光は本当は一緒にやらないといけない。2つを融合することをやりたい。会社を作って2年目でやれた。これからの町づくりも、最初は一人でいい。それから仲間を集めればいい。今一番伝えたいことは「始めるのは一人ですよ」ということ。始める時は一人。一人が手を挙げることで変わることがある。

〈和紙に大きく「人人」と書いて〉

頭之宮(四方神社)にも書いた。コロナがあって、人がバラバラになって、これでいいのかという思いがあった。人と人とがからみ合う距離感が本当の距離だと思う。頭之宮の宮司が、今後コロナのようなことが起こったらこの字を思い出したいと言ってくれた。本当はこの「人人」をいっぱい書きたい。でも書かなかった。ここで書くのが二つ目。人と人との本当に距離を思い出してほしい。

「場」に感謝の大掃除

今日は納会でした。修練の場である「相賀憩いの家」の大掃除をして、みんなで持ち寄りの美味しい鍋を食べて、今年の締めくくりとしました。
「場」に対しての感謝の気持ちで行う大掃除。自分の家の大掃除ではここまでやらんなぁとの声が聞かれるくらい、みんな一生懸命にしました。人は自分のためにするよりも、他人のためにする時の方が、一生懸命にしますよね。キラキラと自分の人生を生きている大人の共通点は、他人のために自分の時間を使っていることです(自分の欲のために生きている大人はギラギラしてます)。町おこし、人づくりもしかりですね。

第123回少林寺学び工房 貞丸水産山口剛史さん

三重海山道院 特別講座「第123回少林寺学び工房」の講師は、地元である紀北町で養殖業を営む「貞丸水産」の山口剛史さんにお越しいただきました。山口さんは自社の海上釣り堀を活用し出会いの場を提供する「釣りコン(2013年から)」、生産者がこだわりを持って作った地元食材をお客様にその想いを伝えながら直接販売する「海・山こだわり市(2013年から)」、尾鷲のうまいもんを食べながら町を散策してもらおうと考案された「おわせ棒」と紀北の食材や味にこだわりぬいた「こだわりきほく棒」の棒状グルメ対決「棒対決(2015年から)」など様々イベントを開催しています。そこで「なんのために」イベントを開催するのか、意図するところをお話しいただきました。
 インフルエンザの流行のため、三重海山道院拳士4名、元拳士や保護者を含めた一般参加者7名の計11名という少人数でしたが、少人数ゆえに対話的で参加者同士もつながる、とても素敵な時間と空間となりました。

絵本「木を植えた男」を読みました

絵本「木を植えた男」(ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック絵)を読みました。
 僕が絵本を世界に入った一冊です。
 絵本は子どもだけの本じゃない、世代を超える。そう思います。
 世界が変わろうとも自分のやるべきことは変わらない。名誉も報酬も求めない一人の人間の物語です。道元禅師の「一隅を照らす これ即ち国宝なり」 という言葉を紹介しました。

三重海山道院PV第1弾です。ご覧ください。

海山道院PV第1弾はここをクリックしてください

地元ケーブルテレビ番組「熱中時代」に取材してもらいました

2025年2月8日から14日まで、ZTVさんに収録して頂いた「熱中時代」の放送がありました。
 15分間の中に少林寺拳法の教えと技の両方を上手にまとめてくれていて、思わず取材をしてくれた方に電話して感謝を伝えました。
 少林寺拳法を始めたきっかけや今後の目標などについて聞かれていましたが、子ども達が話す内容に僕は驚きました。短い言葉の中に一人ひとりの精神面の成長が見られ、指導者としてとても嬉しく思いました。寺本達也のFB2025年2月9日投稿に番組をアップしているのでご覧ください(サイズが大きくて載りませんでした)。ZTVさん、素晴らしい番組にして下さいまして、本当にありがとうございました。これからも良い番組を作り続けて下さい。

第121回少林寺学び工房「坐禅&法話の会」

令和6年11月17日、 少林寺三重海山道院 第121回特別講座「少林寺学び工房」を開催しました。
 紀北町矢口浦の善光寺(曹洞宗)で坐禅&法話の会。海山道院拳士の他、4名の一般参加を頂きました。
 まず約40分間の座禅。初めての人は3名。何も考えないなんて無理なこと、浮かび上がるいろいろにとらわれないようにすることで精一杯。呼吸に集中して時間が短く感じられました。
 続いて約50分間の法話。釈尊がまだシャーキャ族の王子であった頃、東西南北の門から出て、老病死を知り僧と出逢い、出家するに至ったことから始まり、四諦八正道や法句教を用いて説いてくださいました。牧野ご住職ありがとうございました。
 その後、少林寺拳法の演武を披露しました。少林寺拳法はもともと禅寺の修行法の一つです。曹洞禅の始祖は達磨大師です。達磨大師がインドから中国に来て禅を伝えました。そのときに坐禅行と共に伝えたのが易筋行(のちに少林拳と呼ばれる拳法の修行法)です。鎌倉時代に中国から日本に持って帰ったのは坐禅行の方だけだったので、日本では禅といえば坐禅行だけと思うようになりましたが、達磨が伝えたのは拳と禅の二つの修行法で、これは達磨禅と呼ばれているそうです。
 翌日、善光寺で坐禅会があったので参坐してきました。10名ほどの方が来られていました。女性の方が多く、心が落ち着いた、すっきりしたなど、それぞれの思いをお話ししていました。一人でも多くの人に禅に親しんでもらいたいなと思います。

第120回特別講座「少林寺学び工房」若き生節屋講演会

2024年6月15日
金剛禅総本山少林寺三重海山道院
第120回特別講座「少林寺学び工房」
生節屋三代目 奥村海斗君の講演会。
小学校の恩師、懐かしい顔、応援してくれる人々37名に囲まれ、
とてもあたたかい空気に包まれた講演会でした。
海斗君はきっとこの町を支える側にまわってくれる人だと、
話を聞いた人は思ったことでしょう。
講演会を終えた後も多くの方が海斗君を囲んで長く話しこんでいる姿を見て、とても嬉しくなりました。
遠くは和歌山県那智勝浦町から来てくれました。
来てよかった、来てよかったと何度も言ってくれました。
これからも「人づくり」にこだわって、
より良い「少林寺学び工房」を企画していきたいと思います。