第124回「少林寺学び工房」創作書家 伊藤潤一さん | 三重海山道院

第124回「少林寺学び工房」創作書家 伊藤潤一さん

2026年1月10日(土)

第124回特別講座「少林寺学び工房」は、創作書家の伊藤潤一さんに来ていただきました。約1時間の講演のあと和紙に大きく書いて頂きました。講演の締めくくりは「始める時は一人。それから仲間を集めればいい。一人が手を挙げることで変わることがある」でした。45人が見守る中、和紙に書いた字は「人人」でした。講演の要旨と「人人」の字の意味について、少し字数は多いですが、時間のある方は是非お読みください。最後に潤一君から参加者一人ひとりにハガキサイズの書がプレゼントされました。

 書を始めたきっかけについては、ある時四日市で書の展覧会があった。作品を前にして人と人とがコミュニケーションをとっていた。自分も人と人とがつながっていく何かがしたいと思った。そこで百均で筆と墨を買い、駅前の路上も座って書くパフォーマンスを始めた。あの時、展覧会と出逢わなかったら、百均に行かなかったら、今の僕はいない。でも全然売れなくて、へこんでいた。いつもちょっかいをかけてくるおじさんがいた。そのおじさんが作品を買ってくれた。一万円で買ってくれた。紙一枚に一万円。そのおじさんが「作品を買うんじゃない。お前の将来を買うんだ」と言ってくれた。その気持ちに応えないといけないと思って路上で書き続けた。また落ち込んだときにそのおじさんが現れて「お前の人生を書うわ」と言って一万円を置いてくれた。あとで分かったことだけど、そのおじさんは有名な書家だった。

今、個展を休止している。去年冷静になって考えた。一年の三分の一、約100日ギャラリーにいた。自分の限りある時間をギャラリーで過ごしていていいのかという思いがあった。それまで作品を売ってこなかった。東京で初めて個展で作品を売った。書けば売れるようになった。アーティストとしては恵まれたことだと思う。アーティストとして売れるようになると、自分がビジネスの歯車の一つとなっているという違和感が生まれた。書けば売れるとなって、自分自身の中でいいもの(作品)と悪いもの(作品)の区別がつかなくなるなと思って、去年9月に休止を決めた。「何のために」がずれてしまわないように。

旅をしてほしい。海外に行ってほしい。日本の素晴らしさに気付いてほしい。日本人はどれだけ尊敬されているか、言語の大切さがよく分かる。カンボジアには歴史を学びたくて行った。ポルポト時代のジャーナリストの一ノ瀬泰造の墓にも行った。今でも村の人が管理してくれていた。台湾も行った。日本海軍兵が神様として祭られている。イタリアに行ったときに持っていたのは3万円だけ。お金がなくて小さな舟に潜り込んで寝た。お店のマスターに気に入ってもらって、その店で働かせてもらって、泊めてもらって、路地裏で書を書いて売って、日本に帰るころには少し増やして帰った。外国に行くときにはこんにちはとありがとうの言葉を覚えて行くこと。あとはなんとかなる。また行きたい国もあれば行きたくない国もある。今日本人が尊敬されるのは、以前の日本人の行いが良かったから。今の僕たちの行いが未来の日本人の信頼になる。未来の人に良いものを残さないといけない。

19歳から町づくりをやってきた。松阪でこんなことができたらいいなと。29歳の時に伊勢志摩サミットの演出をした。言葉に説得力がついてきた。30歳から動き出して、35歳で会社を辞めて株式会社「KABUKU」を作った。松阪ナイトミュージアムもてがけた。39歳まではやりたいことを実行する。文化と観光は本当は一緒にやらないといけない。2つを融合することをやりたい。会社を作って2年目でやれた。これからの町づくりも、最初は一人でいい。それから仲間を集めればいい。今一番伝えたいことは「始めるのは一人ですよ」ということ。始める時は一人。一人が手を挙げることで変わることがある。

〈和紙に大きく「人人」と書いて〉

頭之宮(四方神社)にも書いた。コロナがあって、人がバラバラになって、これでいいのかという思いがあった。人と人とがからみ合う距離感が本当の距離だと思う。頭之宮の宮司が、今後コロナのようなことが起こったらこの字を思い出したいと言ってくれた。本当はこの「人人」をいっぱい書きたい。でも書かなかった。ここで書くのが二つ目。人と人との本当に距離を思い出してほしい。

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