「目的」と「目標」と「手段」 | 四日市富田道院

「目的」と「目標」と「手段」

「目標」とは「目的」を達するための「手段」の一つでしかない。
 
人は容易く「目的」と「目標」を取り違える。
例えば「大会で優勝する」、これは「目標」であって何かの競技を行う「目的」ではないはずだ。
しかし、多くの競技者は「優勝」を競技を続ける「目的」としてしまっている。
「勝てなければ競技を続ける意味がない」と。
 
本来「健康増進」を目的としているスポーツ競技において、アスリートの多くがどこか怪我をしているのはなぜだろう?
肉体と意志と精神のすべての資質を高めることを謳っている世界的なスポーツ大会で毎回ドーピング問題が起きるのはなぜだろう?
 
開祖が少林寺を開宗した目的は人づくりによる国づくりである。
分かりやすく言えば、「誰もが幸せに暮らせる世の中を人の力で作ろう」ということだ。
決して少林寺拳法の上手い人、肉体的に強い人をつくるためではない。
 
誰しもが人として尊重され大切にされ幸せを感じられる
まずはこの小さな道院の中から始めたい。
そんなに難しいことではないはずだ。
 
開祖忌法要において、今一度、原点を省みたい。
開祖忌
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