先生はよく「きれいな言葉を使いなさい」って言うよね、あれはどうしてか分かる?
自分の言葉を1番よく聞く人って誰だ?
そう「自分」だね。
きれいな言葉も汚い言葉も自分が1番聞いているんだ。
だから、きれいな言葉を自分に聞かせなさいって言っているんだよ。

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
先生はよく「きれいな言葉を使いなさい」って言うよね、あれはどうしてか分かる?
自分の言葉を1番よく聞く人って誰だ?
そう「自分」だね。
きれいな言葉も汚い言葉も自分が1番聞いているんだ。
だから、きれいな言葉を自分に聞かせなさいって言っているんだよ。

「目的」と「目標」と「手段」の違いが分かる人いる?
例えば、学校であった運動会、かけっこで一等賞を取るのは「目的」?「目標」?
運動会で言えば「健康的な身体を作ること」「連帯感を作ること」これが「目的」だね。
かけっこで一等賞を取るのは「目標」なんだよね。
開祖も「少林寺拳法をやるなら目的をしっかりもちなさい」「ただ強くなりたいというだけなら他の武道に行けばいい」と言っている。
人はね、簡単に「目的」と「目標(手段)」を取り違えるんだよ。
だから、私は(自分自身も含めて)みんなに「何を目的として少林寺拳法を修行するのか?」を時々問いかける。
私たちは自分も他の人も幸せになるために少林寺拳法を修行し続けていくんだよ。

だるまさんにまつわることわざとして「七転び八起き」ってあるよね?
あれって、変だよね?
7回転んだなら、起きるのも7回のはずだよね?
なんで1回起きるのが多いの?

今流行りのAIに訊けばすぐに答えが出るんだろけど、そんなんじゃ面白くないよね?
自分で考えて、自分なりの答えを探してみて。正解なんてないから。
ここからは私の考えね。
赤ちゃんの頃、みんなは寝転んでいたよね?
この中で、産まれてすぐ立ち上がったって人、いる?いないよね?
みんな最初は転んでいて、起き上がることから始めたんだ。だから、起き上がるのが一回多いんだね。
だからね、たとえ転んだとしても、それで「もともと」、何にもなくしちゃいない。
また起き上がればいい。
何度転んでも構わない、最後に立ち上がっていればそれでいい。
それができるはずだよ。
私たちは達磨の子なのだから。
金剛禅(少林寺拳法)は開祖宗道臣先生の戦中・戦後の経験による
「こんな悲惨な想いは二度としたくないし、人にもさせたくない」
との想いから「人づくり」の行(ぎょう)として作られたのです。
広島原爆忌(8 月 6 日)、長崎原爆忌(8 月 9 日)、敗戦の日(8 月 15 日)と戦争に関連する日が続く 8 月には
「先の戦争が何だったのか?」
をしっかり考えて欲しいと思います。

8月6日は広島に原爆が落とされた日、明日9日は長崎に原爆が落とされた日だ。
来週15日は80年前に戦争が終わった日。
少林寺拳法は開祖の戦争体験から始まっている。
戦争を経験した人の話を聴くと全員が開祖と一緒だ。
「戦争はそれだけで悪だ」
「こんな悲惨な経験は2度としたくない、誰にもさせたくない」

開祖は強くて、優しくて、勇気があって、行動力がある人を1人でも多く育てて、平和で豊かな世界を作りたいと願って少林寺拳法を作ったんだ。
この季節に今一度考えて欲しい。
今日の修練には体験で来てる子がいる。
ここにいるのはみんな色帯(初心者じゃない)だよね。
じゃぁ尋ねるぞ。
これなんて読む?
そう「学ぶ(まなぶ)」だよな。
これって、言い方が何かから変化してできたんだ、さぁ、元の言葉はなーんだ?

答えはね「真似る(まねる)」なんだよ。
まねる、まねふ、まなふ、まなぶ(^◇^;
何かを学ぶって事は誰かの真似をすることから始まる。
誰の真似をする?
決して先生だけじゃないぞ。
君たちの動き、態度を真似て学ぶんだ。
だからね、君たちはもう「学ばれる(真似される)」側なんだよ。
そこをしっかり意識してください。
先日、仕事で一緒になった若い子がいてね。
その子が仕事の間ずっと不機嫌そうな顔しててねぇ。
確かに面白い仕事じゃなかったんだけどね、そんなのでは一緒に働いているこっちも気分よくないよね。
世の中ね、与えられたそのままで楽しい仕事なんて何もないんだよ。
いかに自分で工夫して楽しむか、仕事を楽しくするか、それだけなんだ。

いつも先生(私)は「和顔愛語」って話してるよね。
楽しそうな顔していたら、周りの人もみんな楽しくなるんだ。
だから、意識して楽しくいないといけないよね。
日本人は食事をする前に「いただきます」って言うよね?
あれは何に対して言うの?
(たべもの!)
おぉ、すごいね!
そうだね、今からいただく食材、「いのち」に対して「いただきます」って言うんだね。
私たちの食べるものは全部、他の「いのち」なんだよね。お魚にしても、お肉にしても。
私たちは他の「いのち」をいただかないと生きていけないんだ。
この身体(からだ)は日々食べるもの、「他のいのち」でできているんだ。
つまりね、身体は「他のいのち」から預かっている、借りているだけのものなんだよ。
だから自分の身体だからと言って粗末に扱ってはだめだよね、とうぜん他の人の身体もだ。

いつかこの身体も返さなくてはいけない。
だからそれまで大事に扱うんだ。
君たちは誰から産まれてきた?
(お母さん!)
じゃぁ、そのお母さんは?そのまた、そのまた、そのまたお母さんは?
いいかい、数億年前にこの地球上にたまたま産まれた生物、細菌のようなものだったらしいが、その最初の生物から今の私たちまでずっと命は一本の糸のように繋がってきているんだ。
途中、どこかでその命が切れていたら今の私たちはここにいない。
当然のように思っているかもしれないけど、今、生きているのはとてつもない偶然、奇跡なんだよ。
だから、命とは自分のものも、他の人のものも大事なんだ。

これをお釈迦様はこんな風にたとえているんだ。
命を得るということは、海中から百年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀が、海面に首を出した時、流れただよっている浮木のひとつしかない穴に首がちょうどはいるというくらい、奇跡的なこと。
少林寺拳法はたった一人の人、開祖宗道臣先生の想いから出発している。
その想いとは戦争体験にある。
「こんな悲惨な想いはもうまっぴらごめんだ!
自分はもちろん、子にも、孫にも、世界中の誰にも二度とさせたくはない!」

開祖が1980年5月12日に遷化されて、今年で45年、今でも世界中では戦争が続いている。
そして戦争ではいつだって弱いものが犠牲になる。
そんなことは「まっぴらごめん」だ。
開祖は亡くなる直前「原点に帰れ!」と幾度となく話されている。
その「原点」とはこの開祖の想いなんだ。
難しいことは言わない、まずは自分自身を大事にすること、そして、それと同じだけ相手を大事にすること。
今日、ここから始めて欲しい。
私たちが少林寺拳を修行をする目的を忘れないでいてください。
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