人はね、見た目で判断するからね。
別にいい服を着ろなんて言わない。
背筋を伸ばしてしゃんとするんだ。
どれだけいい服を着てても姿勢がだらしない人は良く見られない。
みすぼらしい服を着てても、姿勢がキレイで所作が美しい人は一目置かれる。

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
人はね、見た目で判断するからね。
別にいい服を着ろなんて言わない。
背筋を伸ばしてしゃんとするんだ。
どれだけいい服を着てても姿勢がだらしない人は良く見られない。
みすぼらしい服を着てても、姿勢がキレイで所作が美しい人は一目置かれる。
普段の修練時に達磨像は古代文字が書かれている台に置いています。(儀式行事の際は祭壇に置かれます)
これは道院長が四日市富田道院を「こんな場所にしたい」と古代文字書家の小川戯光さんにお願いして書いてもらったものです。
これは高杯に盛ったごはん、お供えものを挟んで2人の人が食事をしている光景を文字にしたものだそうです。
現代語では故郷(ふるさと)の「郷」の原型となります。
転じて四日市富田道院を人が集う「コミュニティ」にしたいという道院長の願いがこもっています。
郷(さと)の元の古代文字から、食事を囲んでいる人々の賑やかな声が聞こえてきそうな気がしてきませんか?
四日市富田道院は拳技を中心として、いつも賑やかな声が飛び交っています。
私の母校では、溶接、旋盤、鋳鉄などの実習があり、そのうちのひとつに「鍛造」というものがありました。
鍛造とは真っ赤になるまで熱した鉄を叩いて形を整え、水などで冷やして硬さをあげていく作業のことです。私の場合、実習期間がちょうど夏季にあたり、汗だくになりながら熱い鉄にハンマーを振り下ろしていました。はい、16歳の夏でした。
鉄は鍛えていけばいくほどドンドンと硬くなっていきます。ところが、ある程度の硬さになると「ポキッ」と音を立てて簡単に折れてしまいます。
これは硬さをあげることにより鉄が本来持っていた柔軟性を失ってしまうからです。
硬いから「強い鉄」というわけではなく、むしろ、硬いからこそ「壊れやすい鉄」なのです。
これは人も同じようなもので「こうでなければならない」というものを持っている人ほど、想定外の衝撃を受けた際に崩れやすいものです。
当然、確固たる自己(自己確立)を持たなくてはなりませんが、同時に自分とは違う価値観を許容できる柔軟性(自他共楽)を併せ持たないと実際の「強さ」を得ることはできません。
少林寺拳法を主行とした拳禅一如の金剛禅修行法は、剛毅さとしなやかさを同時に身につけられる(剛柔一体)もので、私たち指導者はそれを体得して欲しいと思い指導をしています。
7世紀に建立されてから1300年以上自然災害に耐え続け、世界最古の木造建築物である「法隆寺」には真ん中を貫く一本の心柱があります。この心柱は基礎に固定されておらず、風や地震などの衝撃に対しユラユラと揺れるようになっているそうです。
私たちも法隆寺のように一本強く貫く芯を持って、かつ、しなやかに生きていきたいものです。
うちの道院長、気がついたら笑ってます。
怒っているところは、滅多に見たことがありません。
本人は「和顔愛語やぁ」なんて言ってますが、単に道院が楽しいだけのような気がします。
年末押し迫った寒い日でしたが、本日、当道院の道院長が四日市小教区研修会の講師を務めました。
いろんな話題(つまり雑談)を取り混ぜながら世界情勢を含めてと宗教の意義について楽しそうに話していました。
人に教えるってことは、自分の技術を「理解」して「分解」して、わかりやすく「再構築」することだ。
だから、人を教えるってことは自分の技術を深めるってことなんだよ。
今日はアフリカのマリ共和国に送るお米を作る「アフリカの田んぼ」で田植えでした。
県内はもちろん愛知県の道院からもたくさん参加されて楽しく田植えができました。
田植えの後のご褒美は柏饅頭♪
疲れた身体に甘いものは格別です。
四日市富田道院からは2人の参加でした。
修行は道院の中だけでやるものではありません。
拳をどれだけ鍛えても、それだけではただの自己満足で、世の中は何も変わりません。
道院の外に飛び出て実践して初めて意味が出てきます。
© 2025 四日市富田道院.