道院長のつぶやき | 四日市富田道院

道院長のつぶやき
Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

終戦から80年に

金剛禅(少林寺拳法)は開祖宗道臣先生の戦中・戦後の経験による

「こんな悲惨な想いは二度としたくないし、人にもさせたくない」

との想いから「人づくり」の行(ぎょう)として作られたのです。

広島原爆忌(8 月 6 日)、長崎原爆忌(8 月 9 日)、敗戦の日(8 月 15 日)と戦争に関連する日が続く 8 月には

「先の戦争が何だったのか?」

をしっかり考えて欲しいと思います。

終戦記念日に向けて

8月6日は広島に原爆が落とされた日、明日9日は長崎に原爆が落とされた日だ。

来週15日は80年前に戦争が終わった日。

少林寺拳法は開祖の戦争体験から始まっている。

戦争を経験した人の話を聴くと全員が開祖と一緒だ。

「戦争はそれだけで悪だ」

「こんな悲惨な経験は2度としたくない、誰にもさせたくない」

開祖は強くて、優しくて、勇気があって、行動力がある人を1人でも多く育てて、平和で豊かな世界を作りたいと願って少林寺拳法を作ったんだ。

この季節に今一度考えて欲しい。

今日は中学生が

今日は中学生が自主的に鎮魂行(座禅行)の主座をしました。

彼女は昨日まで宮崎県で行われていた全国中学生少林寺拳法大会(少林寺拳法連盟主催)から帰ってきたばかり。

なにやら、全国の同年代の仲間から刺激を受けて帰ってきたようです。

これからの成長がとても楽しみです♪

少年部が自主的に

月曜日の鎮魂行(座禅)は少年部を中心にしています。

今日は「私、前で主座やりたい!」とエス拳士が初めて主座をやりました。

すると、

いつもは一歩引いて見ているケイ拳士が「僕、打棒したい」と手を上げてきました。

子どもたちの成長が何より嬉しい道院長です♪

一般部の間、子どもたちは

少年部が終わり一般部が修練している間、子どもたちは楽しく遊んでいます。
修練よりこちらが楽しみで来てるのかも(^◇^;)

学ぶってなんだ?

今日の修練には体験で来てる子がいる。

ここにいるのはみんな色帯(初心者じゃない)だよね。

じゃぁ尋ねるぞ。

これなんて読む?

そう「学ぶ(まなぶ)」だよな。

これって、言い方が何かから変化してできたんだ、さぁ、元の言葉はなーんだ?

答えはね「真似る(まねる)」なんだよ。

まねる、まねふ、まなふ、まなぶ(^◇^;

何かを学ぶって事は誰かの真似をすることから始まる。

誰の真似をする?

決して先生だけじゃないぞ。

君たちの動き、態度を真似て学ぶんだ。

だからね、君たちはもう「学ばれる(真似される)」側なんだよ。

そこをしっかり意識してください。

体験者が来ました

今日の修練にはご家族で体験希望者が来ました。

写真はありません(^◇^;)

小学生のお子さんと一緒にご夫婦で楽しそうに体験されていきました。

当道院でなくてもどこかで少林寺拳法と繋がっていただけると嬉しいです。

楽しそうにしていないとね

先日、仕事で一緒になった若い子がいてね。

その子が仕事の間ずっと不機嫌そうな顔しててねぇ。

確かに面白い仕事じゃなかったんだけどね、そんなのでは一緒に働いているこっちも気分よくないよね。

世の中ね、与えられたそのままで楽しい仕事なんて何もないんだよ。

いかに自分で工夫して楽しむか、仕事を楽しくするか、それだけなんだ。

いつも先生(私)は「和顔愛語」って話してるよね。

楽しそうな顔していたら、周りの人もみんな楽しくなるんだ。

だから、意識して楽しくいないといけないよね。

命の尊さ ~いただきますの意味は?~

日本人は食事をする前に「いただきます」って言うよね?

あれは何に対して言うの?

(たべもの!)

おぉ、すごいね!

そうだね、今からいただく食材、「いのち」に対して「いただきます」って言うんだね。

私たちの食べるものは全部、他の「いのち」なんだよね。お魚にしても、お肉にしても。

私たちは他の「いのち」をいただかないと生きていけないんだ。

この身体(からだ)は日々食べるもの、「他のいのち」でできているんだ。

つまりね、身体は「他のいのち」から預かっている、借りているだけのものなんだよ。

だから自分の身体だからと言って粗末に扱ってはだめだよね、とうぜん他の人の身体もだ。

道院長インタビュー

いつかこの身体も返さなくてはいけない。

だからそれまで大事に扱うんだ。

命の尊さとは 盲亀浮木のごとし

君たちは誰から産まれてきた?

(お母さん!)

じゃぁ、そのお母さんは?そのまた、そのまた、そのまたお母さんは?

いいかい、数億年前にこの地球上にたまたま産まれた生物、細菌のようなものだったらしいが、その最初の生物から今の私たちまでずっと命は一本の糸のように繋がってきているんだ。

途中、どこかでその命が切れていたら今の私たちはここにいない。

当然のように思っているかもしれないけど、今、生きているのはとてつもない偶然、奇跡なんだよ。

だから、命とは自分のものも、他の人のものも大事なんだ。

亀

これをお釈迦様はこんな風にたとえているんだ。

命を得るということは、海中から百年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀が、海面に首を出した時、流れただよっている浮木のひとつしかない穴に首がちょうどはいるというくらい、奇跡的なこと。