法話や儀式の投稿が多くなっていましたので、基本修練の様子を一枚。

下は小学生から上は50代まで一緒になってやってます。
ちゃんと修練もしてますよ(^◇^;)
Instagramには動画もあげていますので、そちらもぜひご覧くださいね。
法話や儀式の投稿が多くなっていましたので、基本修練の様子を一枚。
下は小学生から上は50代まで一緒になってやってます。
ちゃんと修練もしてますよ(^◇^;)
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日本人は食事をする前に「いただきます」って言うよね?
あれは何に対して言うの?
(たべもの!)
おぉ、すごいね!
そうだね、今からいただく食材、「いのち」に対して「いただきます」って言うんだね。
私たちの食べるものは全部、他の「いのち」なんだよね。お魚にしても、お肉にしても。
私たちは他の「いのち」をいただかないと生きていけないんだ。
この身体(からだ)は日々食べるもの、「他のいのち」でできているんだ。
つまりね、身体は「他のいのち」から預かっている、借りているだけのものなんだよ。
だから自分の身体だからと言って粗末に扱ってはだめだよね、とうぜん他の人の身体もだ。
いつかこの身体も返さなくてはいけない。
だからそれまで大事に扱うんだ。
君たちは誰から産まれてきた?
(お母さん!)
じゃぁ、そのお母さんは?そのまた、そのまた、そのまたお母さんは?
いいかい、数億年前にこの地球上にたまたま産まれた生物、細菌のようなものだったらしいが、その最初の生物から今の私たちまでずっと命は一本の糸のように繋がってきているんだ。
途中、どこかでその命が切れていたら今の私たちはここにいない。
当然のように思っているかもしれないけど、今、生きているのはとてつもない偶然、奇跡なんだよ。
だから、命とは自分のものも、他の人のものも大事なんだ。
これをお釈迦様はこんな風にたとえているんだ。
命を得るということは、海中から百年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀が、海面に首を出した時、流れただよっている浮木のひとつしかない穴に首がちょうどはいるというくらい、奇跡的なこと。
少林寺拳法はたった一人の人、開祖宗道臣先生の想いから出発している。
その想いとは戦争体験にある。
「こんな悲惨な想いはもうまっぴらごめんだ!
自分はもちろん、子にも、孫にも、世界中の誰にも二度とさせたくはない!」
開祖が1980年5月12日に遷化されて、今年で45年、今でも世界中では戦争が続いている。
そして戦争ではいつだって弱いものが犠牲になる。
そんなことは「まっぴらごめん」だ。
開祖は亡くなる直前「原点に帰れ!」と幾度となく話されている。
その「原点」とはこの開祖の想いなんだ。
難しいことは言わない、まずは自分自身を大事にすること、そして、それと同じだけ相手を大事にすること。
今日、ここから始めて欲しい。
私たちが少林寺拳を修行をする目的を忘れないでいてください。
本日、開祖忌法要を営みました。
開祖は1980年5月12日に遷化*されています。
大人拳士についてきた小さな子どもたちを他の保護者さんたちが修練中面倒をみてくれています。
四日市富田道院はこんな素敵な人たちに助けられて運営されています。
四日市富田道院はね、社会に出て行くための準備をする場所なんだ。
だからね、先生は君たちを叱ることがある。
「あいつなんもできない」って陰口叩かれるのと、面と向かって「ここができていないから直しなさい」と言われるの、どっちがいい?
「叱られるのが嫌だ」というなら、もう私は何も言わない。
その代わり、恥ずかしい思いをするのは自分自身だぞ。私はなんにも恥ずかしくないし、困らない。
君たちは私なんかより、ずっとずっと立派な人間になれるのだから。
だから、叱られのを避けないようにしなさい。
子どもたちは修練前から汗をかいています。
フリスビーで(^◇^;)
修練場所を所狭しと楽しく走り回っています。
楽しい場所でないと人は集まりません。
今日は道院長が久しぶりに絵本を開きました。
読み聞かせというより、絵本を使って子どもたちと一緒に楽しんでいます。
子どもたちよりも、道院長が一番楽しそうにしていました。
桜と共に新年度最初の修練です。
新中学生、新高校生も一緒になって技法を楽しんでいます。
さぁ、新しい始まりにあなたは何をしたいですか?
© 2025 四日市富田道院.