私の母校では、溶接、旋盤、鋳鉄などの実習があり、そのうちのひとつに「鍛造」というものがありました。
鍛造とは真っ赤になるまで熱した鉄を叩いて形を整え、水などで冷やして硬さをあげていく作業のことです。私の場合、実習期間がちょうど夏季にあたり、汗だくになりながら熱い鉄にハンマーを振り下ろしていました。はい、16歳の夏でした。
鉄は鍛えていけばいくほどドンドンと硬くなっていきます。ところが、ある程度の硬さになると「ポキッ」と音を立てて簡単に折れてしまいます。
これは硬さをあげることにより鉄が本来持っていた柔軟性を失ってしまうからです。
硬いから「強い鉄」というわけではなく、むしろ、硬いからこそ「壊れやすい鉄」なのです。
これは人も同じようなもので「こうでなければならない」というものを持っている人ほど、想定外の衝撃を受けた際に崩れやすいものです。
当然、確固たる自己(自己確立)を持たなくてはなりませんが、同時に自分とは違う価値観を許容できる柔軟性(自他共楽)を併せ持たないと実際の「強さ」を得ることはできません。
少林寺拳法を主行とした拳禅一如の金剛禅修行法は、剛毅さとしなやかさを同時に身につけられる(剛柔一体)もので、私たち指導者はそれを体得して欲しいと思い指導をしています。
7世紀に建立されてから1300年以上自然災害に耐え続け、世界最古の木造建築物である「法隆寺」には真ん中を貫く一本の心柱があります。この心柱は基礎に固定されておらず、風や地震などの衝撃に対しユラユラと揺れるようになっているそうです。
私たちも法隆寺のように一本強く貫く芯を持って、かつ、しなやかに生きていきたいものです。