少年部が終わり一般部が修練している間、子どもたちは楽しく遊んでいます。
修練よりこちらが楽しみで来てるのかも(^◇^;)

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
少年部が終わり一般部が修練している間、子どもたちは楽しく遊んでいます。
修練よりこちらが楽しみで来てるのかも(^◇^;)

今日の修練には体験で来てる子がいる。
ここにいるのはみんな色帯(初心者じゃない)だよね。
じゃぁ尋ねるぞ。
これなんて読む?
そう「学ぶ(まなぶ)」だよな。
これって、言い方が何かから変化してできたんだ、さぁ、元の言葉はなーんだ?

答えはね「真似る(まねる)」なんだよ。
まねる、まねふ、まなふ、まなぶ(^◇^;
何かを学ぶって事は誰かの真似をすることから始まる。
誰の真似をする?
決して先生だけじゃないぞ。
君たちの動き、態度を真似て学ぶんだ。
だからね、君たちはもう「学ばれる(真似される)」側なんだよ。
そこをしっかり意識してください。
今日の修練にはご家族で体験希望者が来ました。

写真はありません(^◇^;)
小学生のお子さんと一緒にご夫婦で楽しそうに体験されていきました。
当道院でなくてもどこかで少林寺拳法と繋がっていただけると嬉しいです。
先日、仕事で一緒になった若い子がいてね。
その子が仕事の間ずっと不機嫌そうな顔しててねぇ。
確かに面白い仕事じゃなかったんだけどね、そんなのでは一緒に働いているこっちも気分よくないよね。
世の中ね、与えられたそのままで楽しい仕事なんて何もないんだよ。
いかに自分で工夫して楽しむか、仕事を楽しくするか、それだけなんだ。

いつも先生(私)は「和顔愛語」って話してるよね。
楽しそうな顔していたら、周りの人もみんな楽しくなるんだ。
だから、意識して楽しくいないといけないよね。
日本人は食事をする前に「いただきます」って言うよね?
あれは何に対して言うの?
(たべもの!)
おぉ、すごいね!
そうだね、今からいただく食材、「いのち」に対して「いただきます」って言うんだね。
私たちの食べるものは全部、他の「いのち」なんだよね。お魚にしても、お肉にしても。
私たちは他の「いのち」をいただかないと生きていけないんだ。
この身体(からだ)は日々食べるもの、「他のいのち」でできているんだ。
つまりね、身体は「他のいのち」から預かっている、借りているだけのものなんだよ。
だから自分の身体だからと言って粗末に扱ってはだめだよね、とうぜん他の人の身体もだ。

いつかこの身体も返さなくてはいけない。
だからそれまで大事に扱うんだ。
君たちは誰から産まれてきた?
(お母さん!)
じゃぁ、そのお母さんは?そのまた、そのまた、そのまたお母さんは?
いいかい、数億年前にこの地球上にたまたま産まれた生物、細菌のようなものだったらしいが、その最初の生物から今の私たちまでずっと命は一本の糸のように繋がってきているんだ。
途中、どこかでその命が切れていたら今の私たちはここにいない。
当然のように思っているかもしれないけど、今、生きているのはとてつもない偶然、奇跡なんだよ。
だから、命とは自分のものも、他の人のものも大事なんだ。

これをお釈迦様はこんな風にたとえているんだ。
命を得るということは、海中から百年に一度しか浮かび上がってこない盲目の亀が、海面に首を出した時、流れただよっている浮木のひとつしかない穴に首がちょうどはいるというくらい、奇跡的なこと。
少林寺拳法はたった一人の人、開祖宗道臣先生の想いから出発している。
その想いとは戦争体験にある。
「こんな悲惨な想いはもうまっぴらごめんだ!
自分はもちろん、子にも、孫にも、世界中の誰にも二度とさせたくはない!」

開祖が1980年5月12日に遷化されて、今年で45年、今でも世界中では戦争が続いている。
そして戦争ではいつだって弱いものが犠牲になる。
そんなことは「まっぴらごめん」だ。
開祖は亡くなる直前「原点に帰れ!」と幾度となく話されている。
その「原点」とはこの開祖の想いなんだ。
難しいことは言わない、まずは自分自身を大事にすること、そして、それと同じだけ相手を大事にすること。
今日、ここから始めて欲しい。
私たちが少林寺拳を修行をする目的を忘れないでいてください。
大人拳士についてきた小さな子どもたちを他の保護者さんたちが修練中面倒をみてくれています。

四日市富田道院はこんな素敵な人たちに助けられて運営されています。
四日市富田道院はね、社会に出て行くための準備をする場所なんだ。
だからね、先生は君たちを叱ることがある。
「あいつなんもできない」って陰口叩かれるのと、面と向かって「ここができていないから直しなさい」と言われるの、どっちがいい?
「叱られるのが嫌だ」というなら、もう私は何も言わない。
その代わり、恥ずかしい思いをするのは自分自身だぞ。私はなんにも恥ずかしくないし、困らない。

君たちは私なんかより、ずっとずっと立派な人間になれるのだから。
だから、叱られのを避けないようにしなさい。
人はね、見た目で判断するからね。
別にいい服を着ろなんて言わない。
背筋を伸ばしてしゃんとするんだ。
どれだけいい服を着てても姿勢がだらしない人は良く見られない。
みすぼらしい服を着てても、姿勢がキレイで所作が美しい人は一目置かれる。

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