道院長のつぶやき | 四日市富田道院 | Page 9

道院長のつぶやき
Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

「いのち」ってなんだ? 〜その3〜

あぁ、あんな風な人になりたいな。
って憧れを持って、近づく努力をすることはとてもいい事だ。

でもね、憧れの人の様になれなくてもガッカリすることはない、するなよ。
それは、自分は自分以外のものには決してなれないからだ。

ひとりひとりがそれぞれかけがえのない、たった一つの人生を生きている。
君の人生を誰かが、たとえ親であっても、代わりに生きることはできない。
私の人生を君が代わりに生きることもできない。

数億年かけて繋いできた、たった一つしかない自分の「いのち」だ。

あなたはただあなたであるだけで素晴らしい存在なんだ!
他の誰かになる必要は絶対にない!

繋がれてきた、たった一つの「いのち」だ、精一杯生きよう。

鎮魂行

「いのち」ってなんだ?〜その2〜

タイムパラドックスって知ってるか?
(ドラえもん?)
おぉ、惜しいな(笑)

例えば、ある日、ずんぐりとしたネコ型ロボットに「恐竜が見たいよ〜」ってお願いしてタイムマシンで恐竜時代に行ってみる。
恐竜がのしのしと歩き回るジャングルで君は小さなネズミを踏み潰してしまう。

普段ならどうってことない話しだ。
しかし、そのネズミのような哺乳類が君の遠いご先祖さまだったら、君はどうなる?
君は生まれてこられなくなる。

いいかい?
私たちは遥か数億年前、太古の海にぷかぷかと浮かぶ小さな単細胞の生命から始まり、今の自分に至るまで絶え間ない「いのちのリレー」でここに私たちは存在する。
どこかひとつでも「いのちのリレー」が途切れるたら私たちは今、ここにいないんだ。

遥か数億年、途方もない年月の結果として今の「いのち」がある
そう思うと、ただここに生きているだけで、ただそれだけでとても奇跡的な存在だとは思わないか?

法話

(続く)

「いのち」ってなんだ? ~その1~

「いのち」ってなんだ?
 
私は先日、職場で脳死移植の講演会を受けた。
私が脳死になれば、私の心臓だって誰か困っている人にあげられる。
でも、それは私が「いのち」をあげたわけではない。
そこに「私」という存在はもうないからね。
 
「いのち」は誰しもがひとつしか持っていないものなんだ。
スーパーマ◯オのように3つとかないんだ(笑)
 
ひとつしかないから自分の「いのち」は大事なもの。
ひとつしかないから相手の「いのち」は大事なもの。
だから、捨ててもいけないし、奪ってもいけない
祭壇