法話 | 四日市富田道院 | Page 8

法話
Shorinji Kempo

終戦記念日に思う

今日は終戦記念日。

人類は戦争を止める事は永遠にできないでしょう。

人は「戦争をする生き物」としてできているからです。

前にも言った様に自然界ではか弱い生物である人類は「群れ」を作ることで生き延びてきました。

「群れ」の「存続」が生き残りの絶対条件になります。

この群れを存続する条件が「正義」と呼ばれているものになります。

異なる「群れ(国家・民族)」の間ではそれぞれの「正義(存在条件)」は当然ことなり、それぞれの「群れ」を存続させようと「正義の衝突(戦争)」が起こるのです。

 

人類が「戦争をする生物」であるからこそ、努力して戦争をしないようにしなければなりません。

意識して、努力して、知恵を合わせて、少しでも戦争を回避していきましょう。

私たちは他人を愛することができるようにも作られているからです。

本堂

他人を批難する人って

新型コロナウイルスに感染した人に対して、攻撃するのは人として「当たり前」の事なんだよ。

〜 〜 〜
人間はね、コミュニティ(群れ)を壊そうとする存在を攻撃するように出来ている。

他の動物と比べて、牙もない、爪もない、走るのも遅い、泳ぐのも遅い、力も弱い、そんな存在である「人」が生き残るにはどうしたらいい?
か弱い生物である人類が取った生き残り戦略は「群れ」を作り、助け合うこと。

「群れ」が壊れる事は、即「滅亡」につながる、だから「群れ」が壊れる事、「群れ」からはぐれる事を人は本能的に恐れる。

新型コロナウイルスに感染した人に対して、「感染を拡げてコミュニティを破壊する存在」として攻撃するのは人類として「当たり前」の感情なんだよ。

だからこそ、そんな感情を誰しもが当たり前に持つという事を踏まえて、意識して「そんな事態」にならない様に対応しなければならない。

私たちはお互いを幸せにしようとする存在でもあるのだから

法話風景

子どもと大人の違い

子どもと大人の違いってなーんだ?
世の中には「見た目は大人、中身は小学生」なんてのがたくさんいる。

子どものことを「ガキ」なんて口汚く言うよね。
「ガキ」ってのは「餓鬼」「餓えた鬼」って書く。
つまり「なんでも欲しい」んだ。

誰かに何かあげる訳じゃなく、なんでも「僕が!僕が!」って欲しがる。
これが「餓鬼(ガキ)」、つまり子どもだ。

大人ってのはその反対で、他人に施しができる人なんだ。
でもね、誰かに何かをあげるには自分がそれだけの物を持っていなければならない。
君たちは今はその力をつける時期なんだ。

今は大人からもらっていていい。
でもね、いつか他人が喜ぶような事ができる大人になってください。

子どもと大人の違い

配られたカードで勝負するしかないのさ

禅宗のお寺の入り口に「脚下照顧」と掲げられていることがあります。

 

 単純に「履物を揃えなさい」という意味でしか捉えられないことが多いですが、私は「脚下(あしもと=今自分がいる場所)から、己を顧みなさい」という意味にとっています。

 

 自惚れてもだめ、卑下してもだめ、自分の立っている位置を過不足なく客観的にみることはとても難しいことです。

 しかし、自分の今いる場所を知っていなければ目的地には辿り着くことはできません。

 目標に対して足りないところは足す努力をする、足すことができなければ他の方法を考える。

 現在地と目的地が分かれば先に進む方法はいくつでもあるのです。

 

 スヌーピーは自分が犬であって人間でないことを嘆いてはいません。

 どういうことであれ現実を受け入れ、そこから始めなければ、一歩も前には進まないのです。

snoopy

(画像引用:マイナビ

できないことの言い訳を他人に求めていないか?

できないことの言い訳を他人に求めていないか?

お母さんのその言い方が悪い、学校の先生が悪い、なんて。
じゃぁ、学校を出て独り立ちしたらどうする気だ?
今度は上司が悪い、社会が悪いか?
いいよ、そうやってずっと他人のせいにして生きていっても。
私はもちろん、お母さん、お父さんだって、君の代わりに生きていくことはできない。
自分の人生は自分で生きていくしかないんだ。


いいか?人は死ぬことと同じように避けられないことがもう一つあるんだ。それが何かわかるか?
生きるってことだ。
人は死ぬまで生きていかなくてはならない。
なら、どうせなら、自分で自分の人生を生きていこうと思わないか?

はんこうき

行き詰まった時どうする?

行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。

だから、諦めるな。独りでは厳しいなら助けを求めなさい。

必ず誰かが手を差し伸べてくれる。

〜〜〜〜〜

私が子どもの頃、ティラノサウルスと言えば怪獣の様に二足歩行でした。

今は違うでしょ?しかも羽毛まで生えていたらしい。

さらに羽毛の生えた恐竜は生き残って鳥になったって。

なんで恐竜は鳥になって空を飛べる様になった?

(進化したから)

じゃ、なぜ進化したの?

(生き残るため)

そう、生き残るため。

地上では環境の変化について行けない恐竜たちは絶滅して行った。

「もうダメだ」と思った時、上を見上げて「空という新しい世界がある」と諦めずに飛ぼうともがいた者が鳥として生き残った。

これね、私達でも同じ。

君たちも私も、これから何度でも、何度でも、何度でも行き詰まる。

そこで「もうダメだ」って諦めたら絶滅した恐竜と同じ、終わってしまう。

行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある

ひょっとしたら、ほら、あの扉が「どこでもドア」で新しい世界に繋がっているかもしれない。

(そんな事ないよ笑)

どうしてだ?それはドアをくぐってみないと分からないだろ?

独りで厳しいなら「助けて」と声を出しなさい。

私でも、周りの大人でも、必ず誰かが手を差し伸べてくれる、助けてくれる。

だから、苦しい時に「助けて」と言える様になりなさい

T-REX

正義について

新型コロナウイルスに感染した人の家に石を投げたり落書きしたり、病気を治そうとする医者や看護師へ嫌がらせをする人、または自粛を強要したりする人がいる。
なぜ、そんな事をすると思う?

例えば、先生が女の人にビンタされているとする。
可哀想なのは先生か?女の人か?
(女のひと〜)
なんでや!

じゃ、S拳士が女の人に叩かれている。
可哀想なのはS拳士だよね。
でもさ、実はS拳士がこの女性に散々いたずらして悪いことして騙して、ようやく女の人がS拳士を捕まえて叩いたところだとする。
どう思う?どっちが可哀想?

人間はね、「正義」を行うと気持ちいいんだ。
「正義」を行うと脳に気持ち良くなる「化学物質」が流れるようになっている。そういう風に脳ができている。
これはね大人の世界でも同じで「いじめ」が起きる構造なんだ。

昔話の「桃太郎」、鬼の立場からすれば、いきなり人間が襲ってきて、根こそぎ財産を奪って行かれる。
ひょっとしたら鬼には鬼の事情があるかもしれない。
「めでたし、めでたし」
なんかじゃない。

だから「自分が正義」だと思う時、それは「危ない」時なんだと覚えておいて欲しい。
ほんの少しでもいいから相手の気持ちを思いやって欲しい。
そうすれば、最初に言った様な事は起こらない。 

法話

「目的」と「目標」と「手段」

「目標」とは「目的」を達するための「手段」の一つでしかない。
 
人は容易く「目的」と「目標」を取り違える。
例えば「大会で優勝する」、これは「目標」であって何かの競技を行う「目的」ではないはずだ。
しかし、多くの競技者は「優勝」を競技を続ける「目的」としてしまっている。
「勝てなければ競技を続ける意味がない」と。
 
本来「健康増進」を目的としているスポーツ競技において、アスリートの多くがどこか怪我をしているのはなぜだろう?
肉体と意志と精神のすべての資質を高めることを謳っている世界的なスポーツ大会で毎回ドーピング問題が起きるのはなぜだろう?
 
開祖が少林寺を開宗した目的は人づくりによる国づくりである。
分かりやすく言えば、「誰もが幸せに暮らせる世の中を人の力で作ろう」ということだ。
決して少林寺拳法の上手い人、肉体的に強い人をつくるためではない。
 
誰しもが人として尊重され大切にされ幸せを感じられる
まずはこの小さな道院の中から始めたい。
そんなに難しいことではないはずだ。
 
開祖忌法要において、今一度、原点を省みたい。
開祖忌

ワインが水に変わった

むかし、ある村で行われる祭りで、祭りの前日までに広場に置いた樽に村人がそれぞれワインを持ち寄っていれておき、祭り当日にそれをみなで分け合って飲むこととした。

村人は一人ひとり樽の中にワインを入れていった。

祭り当日、樽を開けてワインを一口飲んだ司祭が叫んだ

「なんだこれは?水じゃないか!」

村人の一人が申し訳なさそうに申し出た

「すみません、私は水を入れました。私一人くらいワインを入れなくてもいいだろうと...」

そうすると次々と村人たちが「私も水を入れました」と申し出てきて、結局誰一人ワインを樽に入れる村人はいなかった。

自分ひとりくらいいいじゃないか!という思いがどんな結果を引き起こすかということだ。

バッカス

「先生の法話はとても面白いです。以前、法話で聴いたこの話しをとても覚えています!」

中学生のS拳士が道院長に話していた。

 

...すまん、この話し、道院長の私はしていない、きっと他の人だ。

信とは?

信用と信頼

信用と信頼は違う。
信じて用いられる(使われる)より、信じて頼られなければならない。
 
でも大事なのは「信じられる」こと。
誰かに信じてもらうには長い年月がいるんだよ。
でも、その積み上げた「信」は一個の「嘘」で壊れる。
とてもデリケートなものなんだ。
 
信じてもらえない人はどれだけ優秀であっても大した人物ではない。
どうかみんなも注意して欲しい。
鎮魂行