法話
Shorinji Kempo

配られたカードで勝負するしかないのさ

禅宗のお寺の入り口に「脚下照顧」と掲げられていることがあります。

 

 単純に「履物を揃えなさい」という意味でしか捉えられないことが多いですが、私は「脚下(あしもと=今自分がいる場所)から、己を顧みなさい」という意味にとっています。

 

 自惚れてもだめ、卑下してもだめ、自分の立っている位置を過不足なく客観的にみることはとても難しいことです。

 しかし、自分の今いる場所を知っていなければ目的地には辿り着くことはできません。

 目標に対して足りないところは足す努力をする、足すことができなければ他の方法を考える。

 現在地と目的地が分かれば先に進む方法はいくつでもあるのです。

 

 スヌーピーは自分が犬であって人間でないことを嘆いてはいません。

 どういうことであれ現実を受け入れ、そこから始めなければ、一歩も前には進まないのです。

snoopy

(画像引用:マイナビ

できないことの言い訳を他人に求めていないか?

できないことの言い訳を他人に求めていないか?

お母さんのその言い方が悪い、学校の先生が悪い、なんて。
じゃぁ、学校を出て独り立ちしたらどうする気だ?
今度は上司が悪い、社会が悪いか?
いいよ、そうやってずっと他人のせいにして生きていっても。
私はもちろん、お母さん、お父さんだって、君の代わりに生きていくことはできない。
自分の人生は自分で生きていくしかないんだ。


いいか?人は死ぬことと同じように避けられないことがもう一つあるんだ。それが何かわかるか?
生きるってことだ。
人は死ぬまで生きていかなくてはならない。
なら、どうせなら、自分で自分の人生を生きていこうと思わないか?

はんこうき

行き詰まった時どうする?

行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。

だから、諦めるな。独りでは厳しいなら助けを求めなさい。

必ず誰かが手を差し伸べてくれる。

〜〜〜〜〜

私が子どもの頃、ティラノサウルスと言えば怪獣の様に二足歩行でした。

今は違うでしょ?しかも羽毛まで生えていたらしい。

さらに羽毛の生えた恐竜は生き残って鳥になったって。

なんで恐竜は鳥になって空を飛べる様になった?

(進化したから)

じゃ、なぜ進化したの?

(生き残るため)

そう、生き残るため。

地上では環境の変化について行けない恐竜たちは絶滅して行った。

「もうダメだ」と思った時、上を見上げて「空という新しい世界がある」と諦めずに飛ぼうともがいた者が鳥として生き残った。

これね、私達でも同じ。

君たちも私も、これから何度でも、何度でも、何度でも行き詰まる。

そこで「もうダメだ」って諦めたら絶滅した恐竜と同じ、終わってしまう。

行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある

ひょっとしたら、ほら、あの扉が「どこでもドア」で新しい世界に繋がっているかもしれない。

(そんな事ないよ笑)

どうしてだ?それはドアをくぐってみないと分からないだろ?

独りで厳しいなら「助けて」と声を出しなさい。

私でも、周りの大人でも、必ず誰かが手を差し伸べてくれる、助けてくれる。

だから、苦しい時に「助けて」と言える様になりなさい

T-REX

正義について

新型コロナウイルスに感染した人の家に石を投げたり落書きしたり、病気を治そうとする医者や看護師へ嫌がらせをする人、または自粛を強要したりする人がいる。
なぜ、そんな事をすると思う?

例えば、先生が女の人にビンタされているとする。
可哀想なのは先生か?女の人か?
(女のひと〜)
なんでや!

じゃ、S拳士が女の人に叩かれている。
可哀想なのはS拳士だよね。
でもさ、実はS拳士がこの女性に散々いたずらして悪いことして騙して、ようやく女の人がS拳士を捕まえて叩いたところだとする。
どう思う?どっちが可哀想?

人間はね、「正義」を行うと気持ちいいんだ。
「正義」を行うと脳に気持ち良くなる「化学物質」が流れるようになっている。そういう風に脳ができている。
これはね大人の世界でも同じで「いじめ」が起きる構造なんだ。

昔話の「桃太郎」、鬼の立場からすれば、いきなり人間が襲ってきて、根こそぎ財産を奪って行かれる。
ひょっとしたら鬼には鬼の事情があるかもしれない。
「めでたし、めでたし」
なんかじゃない。

だから「自分が正義」だと思う時、それは「危ない」時なんだと覚えておいて欲しい。
ほんの少しでもいいから相手の気持ちを思いやって欲しい。
そうすれば、最初に言った様な事は起こらない。 

法話

「目的」と「目標」と「手段」

「目標」とは「目的」を達するための「手段」の一つでしかない。
 
人は容易く「目的」と「目標」を取り違える。
例えば「大会で優勝する」、これは「目標」であって何かの競技を行う「目的」ではないはずだ。
しかし、多くの競技者は「優勝」を競技を続ける「目的」としてしまっている。
「勝てなければ競技を続ける意味がない」と。
 
本来「健康増進」を目的としているスポーツ競技において、アスリートの多くがどこか怪我をしているのはなぜだろう?
肉体と意志と精神のすべての資質を高めることを謳っている世界的なスポーツ大会で毎回ドーピング問題が起きるのはなぜだろう?
 
開祖が少林寺を開宗した目的は人づくりによる国づくりである。
分かりやすく言えば、「誰もが幸せに暮らせる世の中を人の力で作ろう」ということだ。
決して少林寺拳法の上手い人、肉体的に強い人をつくるためではない。
 
誰しもが人として尊重され大切にされ幸せを感じられる
まずはこの小さな道院の中から始めたい。
そんなに難しいことではないはずだ。
 
開祖忌法要において、今一度、原点を省みたい。
開祖忌

ワインが水に変わった

むかし、ある村で行われる祭りで、祭りの前日までに広場に置いた樽に村人がそれぞれワインを持ち寄っていれておき、祭り当日にそれをみなで分け合って飲むこととした。

村人は一人ひとり樽の中にワインを入れていった。

祭り当日、樽を開けてワインを一口飲んだ司祭が叫んだ

「なんだこれは?水じゃないか!」

村人の一人が申し訳なさそうに申し出た

「すみません、私は水を入れました。私一人くらいワインを入れなくてもいいだろうと...」

そうすると次々と村人たちが「私も水を入れました」と申し出てきて、結局誰一人ワインを樽に入れる村人はいなかった。

自分ひとりくらいいいじゃないか!という思いがどんな結果を引き起こすかということだ。

バッカス

「先生の法話はとても面白いです。以前、法話で聴いたこの話しをとても覚えています!」

中学生のS拳士が道院長に話していた。

 

...すまん、この話し、道院長の私はしていない、きっと他の人だ。

信とは?

信用と信頼

信用と信頼は違う。
信じて用いられる(使われる)より、信じて頼られなければならない。
 
でも大事なのは「信じられる」こと。
誰かに信じてもらうには長い年月がいるんだよ。
でも、その積み上げた「信」は一個の「嘘」で壊れる。
とてもデリケートなものなんだ。
 
信じてもらえない人はどれだけ優秀であっても大した人物ではない。
どうかみんなも注意して欲しい。
鎮魂行

東日本大震災によせて

この時期に毎年する法話ではあるけど、昨日3月11日は何があった日か分かるよね。
10年前に東日本大震災があった日だ。

私にとって10年前のことも昨日のように憶えている。
仕事中に大きくゆっくり長く揺れてきた。
当時の上司がすぐに「これは遠くで大きな地震があった」って言っていた。
私はね、少なくとも子どもたちが地震の犠牲にならないように祈った。

ところが、TVから流れてくる映像は酷いものだった。
実際、君たちのような子どもたちも多く犠牲になった。
ところで君たち、明日は何をするつもりだ?
犠牲になったあの子たちにも「明日」があったはずなんだ。
4月から新一年生になる子だっていたはずだ。
私は今、病院で働いている。
人はね簡単に死ぬんだ。
だから、今、この瞬間を一所懸命に生きなくてはならないんだ。

私達、金剛禅の門信徒は亡くなった人に対して祈ることはしません。
だけど、今日だけは大震災で亡くなった人に祈ってあげてください。

本尊

力愛不ニ

力愛不ニ
愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である
力と愛、これは分けてはいけないもの

力というのはなにも腕力だけのことではない、知力、財力、統率力、影響力、全てにおいて愛がなくては力はただの「暴力」になる。
逆にいくら相手を愛おしく、大事にしたいという想いがあっても助けることができる力がなくてはなにもできない。
例えば、お母さんが病気で寝込んでいる。何か食べさせてあげたくても料理を作る力がなければなにも食べさせてあげられない。
だから、腕力ということだけでなく、力をつけなさいと言っている。

いいか?言葉の力もすごいから気をつけるんだぞ。
古来から日本では発した言葉には命が宿り、人を傷つけたり、殺したり、癒したり、救ったりする「言霊」という考え方がある。
独自に命を持った言霊はそれを発した本人すら殺しにくる。
「人を呪わば穴2つ」
この穴って何の穴か知っているか?
墓穴なんだ。
ひとつは呪った相手が入る墓穴、もうひとつは誰が入る?
呪った本人だ。

だから言葉には気をつけなさい。
言葉には人を癒す力も傷つける力もある。

いい顔をして笑おう

最高の贈り物ってなんだ?
他人から何が一番欲しい?

いつも言うけど私たちは金剛禅総本山少林寺の門信徒なんだ。
言ってしまえば私はお坊さん、君たちは小坊主さんかな(笑)
お布施って知っているかな?
神社なんかで入れるお賽銭なんかもお布施だ。
でもね、何もお布施はお金だけじゃないんだ。
笑顔も「和顔」って言ってお布施なんだ。
なぜなら人が一番喜ぶもの、それはね笑顔だからなんだ。

お金が欲しいって声もあったけど、しかめっ面のお父さんから小遣いもらっても嬉しいか?
いつも、こうやって修練に来て、先生がずっと怖い顔でいて、それでもまた修練に来たいと思うかな?
「あぁ、今日の先生は怒っていてめっちゃ怖かったな〜、よし、来週も修練に行こう!」
なんて思わんよな。

嫌な気持ちも、楽しい気持ちも他人に伝染するんだ。
同じ伝染させるなら楽しい気持ちを伝染させようよ。
「いい顔をして笑え」
って開祖もおっしゃっていた。
今日から意識して笑おう。
笑う道院長
※写真はラジオ番組に出演した際の道院長です(^◇^;