転んだなら起きなはれ 達磨祭法話

達磨祭を開きました。

起き上がりこぼしって知ってる?
ダルマさんの人形が何度倒してもその都度起き上がってくるおもちゃだ。

転けること、失敗することは恥ずかしいことでも、情け無いことでもない。
転んで(失敗して)泣くのも仕方ない。
ただ、いつまでも泣いていては何も始まらないよな。
ダルマさんのおもちゃのように転んだら起き上がればいいんだ。

何度転んでも何度でも立ち上がってくる、不撓不屈の心、これが本当に強いってことだよね。
私たちは達磨の子であるんだ。
法話

宗道臣デー(社会奉仕活動)

今日は朝から宗道臣デー、社会活動の日です。
近鉄富田駅周辺の清掃をみんなでしました。

道院の中で突いたり蹴ったりしているだけでは意味がありません。
社会に活かしてこそ初めて意味が出てきます。

宗道臣デー

開祖忌法要

今日は開祖忌法要を執り行いました。

(道院長法話)
私たちは血こそ繋がっていないが、道の上での開祖宗道臣先生の子であり孫である。
全ては開祖の想いから始まっている。
開祖はただの武道の一派として少林寺拳法を始めたのではない。
人づくりの行として少林寺拳法を始めたのだ。

もしこの中で「私は大会で上位に行きたい」「乱取りで強くなりたい」なんて思っている人がいるなら他所へ行った方がいい。
私はそんなのは教えられない。

一緒になって自分の人の質を上げるということを行なっていき、それを社会に還元して行く。
社会に活かすことができないのであれば意味がないから。

開祖忌

習うと学ぶ

「ならう」って漢字で書けるか?
(はーい)
お、いいね。じゃぁ、書いてごらん。

そうだね、こう(習)書くね。
漢字は表意文字だ、なんで「羽」に「白」って書くの?

これはね、まだ羽の白い雛鳥が一所懸命に飛ぶ練習をしようと何十回、何百回も羽ばたく練習をする様子なんだ。
だから、「習う」ってことは何度も、何度も繰り返して練習することなんだよ。
さっき言った「小練すれば小成し、大練すれば大成す」ってことは、何度も何度も一所懸命に練習すれば立派になるってことなんだ。

じゃぁ今度は日本語の勉強だ。
「学ぶ」って日本語はもともとなんだか分かるか?

「まなぶ」の響きは「まねる(真似る)」からきている。
誰の「まね」をするんだ?

それは先生の真似をするだけじゃないぞ、君たち先に入った子たちの動きも真似するんだぞ。
君たちがだらしない姿を見せていたら、そのまま新しい子たちはだらしないことをする。
君たちからもこの子たちは「学ぶ」んだ。
だから、よーく気をつけるようにね。

(入門式法話より)

習う学ぶ

入門式と新春法会

本日、入門式と新春法会を行いました。

入門式ではお兄ちゃんが堂々と表白文を読み上げてくれました。
この子たちと大人も子どもも一緒に成長していきます。

ここは生涯修行の場です。

入門式