自分の大事なおやつ、友だちと一緒に食べようとする。
「えー、そんなの要らない」
って人と
「めっちゃ美味しいね〜」
ってニコニコと喜んで食べる人、どっちがいい?
(喜んでくれる人)
私はね、みんなが社会に出た時に困らない様に少林寺拳法の修行を通して色んなことをあげようとしている。
でもね、それを「いらなーい」って受け取る気がないなら、こっちもあげる気にならない。
エアコンも効いていない道院にわざわざみんな来ているんだ、せっかくだから受け取って行ってください。
◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
自分の大事なおやつ、友だちと一緒に食べようとする。
「えー、そんなの要らない」
って人と
「めっちゃ美味しいね〜」
ってニコニコと喜んで食べる人、どっちがいい?
(喜んでくれる人)
私はね、みんなが社会に出た時に困らない様に少林寺拳法の修行を通して色んなことをあげようとしている。
でもね、それを「いらなーい」って受け取る気がないなら、こっちもあげる気にならない。
エアコンも効いていない道院にわざわざみんな来ているんだ、せっかくだから受け取って行ってください。
組演武をやろうと思うなら「俺が!俺が!」の心を捨てて、相手と一体化しないとできない。
己しか無い心、それじゃあ、いい組演武はできないし、それどころか、そのうち誰も相手しなくなる。
人間の脳は道具を使う時、その道具の先まで自分の身体の一部と認識をする。
それと同じ。
組演武では手を取り合う相手を自分と一体化させて、自分の身体として動かす。
「俺が!俺が!」で自分の殻から出られない様なら、上手く技なんてかからない。
せっかく少林寺拳法を修行しているんだ、自分と相手が一体化する感覚を憶えていきなさい。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズは「禅」の実践をしていたそうです。
人の心はいろんな想像を働かせて無用な心配事を作り上げます。
しかし、ミシガン大学の調査では「心配事の4/5は現実にならない」「現実になった心配事も事前に準備しておけば4/5は問題にならない」と発表されています。
つまり、心配事で実際困るのは1/25でしかないということです。
これを幸福論で有名なアラン先生は「画家が自分で描いた怖い絵に恐怖しているようなもの」と言っています。
金剛禅では法話もすれば座禅も組みます。
背筋を伸ばし、呼吸を整えて、想像力の翼を畳み、今ここにある自分の存在に意識を集中させます。
社会人にはストレス軽減、成長期の子どもたちには落ち着きと集中力を身につけさせます。
昨日は愛知県からゲストが参加に来てくれました。
道院長は基本修練から法話まで全部丸投げ(^◇^;)
みんなはいつもと違う指導を受けてとっても楽しく修練していました。
四日市富田道院は老若男女が集い、楽しく過ごす場所です。
中学生3年生のH拳士、部活で怪我して修練に参加できません。
それでも参考書片手に道院に来てくれます。
例え少林寺拳法の修練ができなくても「行きたい」「居たい」と思える場所が四日市富田道院です。
私たちは人づくりをしています。
中学生が少年部を指導しています。
彼らの指導を観ていると…
(当たり前ですが)自分が指導されたように指導しています。
教える側が持たなければならない責任の重さにハッとした瞬間です。
ちなみに彼らは優しく噛み砕いて、少年部に寄り添う指導していましたよ。
私たちは人づくりをしています。
修行の目的は何だ?
何事も「目的」があるはずだよね。
その「目的」を達成するためにあるのが「手段」だ。
じゃぁ、私たちが少林寺拳法を修行する目的は何だ?
開祖はよく「お前たちは昭和の桃太郎になれ」とおっしゃっていたらしい。
今で言うと「令和の桃太郎」だね。
桃太郎の物語はみんな知っているよね?
じゃぁ、開祖が言う「桃太郎になれ」ってどういうことだ?
それはね
・鬼の悪行に憤る「正義感」
・独りでも鬼退治に出た「勇気」と「行動力」
・謝る鬼を許す「慈悲心(優しさ)」
これを持てと開祖はおっしゃるわけだ。
これを持つために私たちは少林寺拳法を修行しているわけだ。
それを、やれ「俺は演武が上手い」だの「乱取りが強い」だの。
そんな自慢する人は少なくとも四日市富田道院には要らない。
そんな人を作るために指導はしていない。
今日は愛知県からゲストが遊びに来てくれました。
本山へ行っている道院長からの指示で四日市富田道院名物「ゲストへ丸投げ」(^◇^;)
とても楽しい時間になりました〜
四日市富田道院では「遊び」に来てくれる人はいつでもウェルカムです。
本日、初段位の允可状授与式を行いました。
いつも言っているけど、いいか、黒帯(有段者)なんて社会に出れば何の意味もないからな。
「俺は四段だ、五段だ、すごいんだ、偉いんだ!」
アホか?
黒帯(有段者)取ったら道院を辞めるって言うのもいるけどな、黒帯(有段者)になってからこそ初めて自分自身の修行が始まるんだぞ。
黒帯(有段者)だからこそ、自分と向き合い、自分の人としての質を高めるということに努めなければならない。
「さすが黒帯(有段者)」
と言われるように、技術、知識、そして何より人格を磨かなくてならないんだよ。
今日は開祖忌法要を執り行いました。
(道院長法話)
私たちは血こそ繋がっていないが、道の上での開祖宗道臣先生の子であり孫である。
全ては開祖の想いから始まっている。
開祖はただの武道の一派として少林寺拳法を始めたのではない。
人づくりの行として少林寺拳法を始めたのだ。
もしこの中で「私は大会で上位に行きたい」「乱取りで強くなりたい」なんて思っている人がいるなら他所へ行った方がいい。
私はそんなのは教えられない。
一緒になって自分の人の質を上げるということを行なっていき、それを社会に還元して行く。
社会に活かすことができないのであれば意味がないから。
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