道院長のつぶやき
Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

人を教えるということ

上級者が下級者を指導します。

下の者を教えることで、自分の技術はもちろん、生きる姿勢を見直すことが求められます。
そこに学びがあります。

金曜日は中学生有段者が小学生を教えていました。
道院長も含め私たちは皆が等しく修行者です。

修練風景

なんのために少林寺拳法を修行するの?

「じゃぁ先生は何のために少林寺拳法をやっているんですか?」(中学生拳士)
まずは、開祖宗道臣先生(以下「開祖」)が何を目的として金剛禅総本山少林寺を創始されたか?
そこが全ての原点だよな。

開祖は敗戦間もない日本を見て「人づくりによる国づくり」を目的として創始されたんだよな。
「人、人、人、全ては人の質にある、ですか?」
そうだね、全てが人の質にあるならば、より良い国を作るには1人でも多く勇気と慈悲心と行動力のある人を育てなければならない。

だから、私たちは自分達の「人としての質」を上げることを「目的」として金剛禅を修行するんだよな。
決して腕力の強い人、「エイ、ヤァ、どうだ俺は強いだろ?」こんな人になるためにやっているんじゃないよな。
あくまで少林寺拳法はそのための「行」、つまり「手段」のひとつなんだ。

修練風景

なんのために少林寺拳法を修行するの?

「先生、護身術として、この技はやりすぎだと思うんですが?」(中学生拳士)
おぉ、少林寺拳法が護身術なら確かにやりすぎだな。

でもな、私たちは少林寺拳法を護身術としてやっているんじゃないぞ。
ここは金剛禅総本山少林寺、言ってしまえばみんな修行僧だ。
少林寺拳法はあくまで「行」のひとつとしてやっているんだ。

拳禅一如って言葉があるよな。
拳は肉体を、禅はこころを意味するんだよな。
一方、拳=拳技の修行は禅=坐禅と同じだって意味もある。
拳技のことを「動禅」って言い方もある。

じゃぁな、何事も「目的」と「目標」と「手段」があるはずだ。
私たちは何を目的として修行しているんだ?
〜(続く)〜

修練風景

「怒り」の感情ってズルくない?

アメリカのアカデミー賞の舞台で俳優が司会を殴った事件があったね。
司会に自分の奥さんを茶化されたからって。
あれ、みんなはどう思う?
 
喜怒哀楽って人の感情を表す言葉がある。
これのね、「怒」、怒りって感情はね先生(私)はおかしいと思うんだ。
例えば「カッとなって暴力を振るってしまいました」ってニュースでよく聞くよね?
でもさ、「カッとなって」反社会勢力の人に殴りかかった人って聞かないよね。
腹が立ったからって、銃を構えた人に素手でかかって行く人いるか?
おかしいよな?怒りで我を忘れるなら相手構わず向かって行くハズだよな。
 
「カッとなって」って怒る時には「コイツには怒っても大丈夫だぞ、自分は危害を加えられないぞ」って冷静な判断が頭のどこかにあるんだ。
つまり人間は「自分より弱い相手」にしか「怒り」を覚えない。
先生(私)はそこがズルいと思う。
 
さっきの司会を殴った俳優、先生(私)は殴ってはいけないと思う。
あれだって、司会が銃を構えていたら殴ったりしなかったはずだ。
俳優はどこか、ズルい、冷静な計算があって怒ったはずだ。
 
「言葉の暴力はよくて、肉体的な暴力はダメなんですか?」
なんて言われるけど「同じ舞台で争ってはダメ」なんだぞ。
少林寺拳法の技でも同じだろ?
相手の力の強いところでやり合ったら、それは力比べだ。ただ力が強い方が勝つ。
相手が弱く、自分が強くなる位置に持っていく。
例えば、さっきの場合だと、俳優は「司会の言葉を撤回するまでは賞を受け取らない」って言えば、司会とそれを選んだ運営側が一方的に責められることになる。
少林寺拳法の技法を、ただの「エイ、ヤー」だけに使っていてはなんの意味もない。
日常生活に活かして初めて意味が出てくる。
法話

イライラするのは?

「あの飴買って〜」
って駄々をこねる小さい子いるよね?
じゃぁ、同じことを大の大人が街中でしてたらどう思う?
カッコいいか?
 
先生(私)な、ちょっと前に病院の会計待ちが遅くって、イライラしたことがあってね。
そこでね(あれ?どうしてイライラしているんだろう?)って考えたんだ。
 
それはね「俺の思い通りにしてくれって」って勝手な思いなんだ。
 
病院の人はね、ちゃんと手順を踏んでお金の計算をしているハズなんだ。
それをね
「ヤダヤダ、俺の順番を早くしてくれないとやだ〜」
自分の思い通りにならないことを自分の思い通りにしたいからイライラしたんだ。
これって、さっきの駄々をこねる子どもと同じだよね?
カッコいいか?
 
世の中、何ひとつ自分の思うようになんかならない。
そりゃそうだよなぁ、世の中、自分のためにあるわけじゃないもん。
 
学校で、職場で、街中でイライラして怒鳴っている人、あれぜ〜んぶ「飴買って〜」って泣いて駄々をこねる子どもと中身は同じ!
みっともないよなぁ。
あんな風ににはなりたくないよな。
法話

成長を喜ぶ

高校生が白帯さんを教える。

彼が小学生の頃は落ち着きがなく、注意深く指導したものですが、高校生となった今は誰よりも頼りになる良き兄貴分になりました。

そんな彼を頼もしく、嬉しく観ているのが道院長です。

私たちは人の成長を何よりも嬉しく思います。

少年部指導

少林寺拳法を始めてみませんか? ~日々の生活に活かす~

 
四日市富田道院に通ってみてよかったと思うことはなに?
一番は「心が強くなった」です。
グラフ
 
他にも
・精神修行を行っていることが、仕事での後輩部下の育成指導に活きているとたびたび感じられることがある。
・自分を大切にすることが周りの人を大切にすることに繋がることを、年齢問わずみんなが意識せずとも心のなかで育っている気がします。
・別の学校の人ともしゃべれる機会ができた。富田道院だけでなく、他の道院の人たちの考え方が知ることができた。そのおかげで、考え方が違う人ともうまく関われるようになった。
突いたり蹴ったりをするだけが少林寺拳法じゃないんです。
日常生活に活かすことができるのが少林寺拳法なんです。
あなたも少林寺拳法を始めてみませんか?
新入門指導

人生における成功ってなんですか?

「先生、人生における成功ってなんですか?」
先日、中学生のH拳士が尋ねてきた。

曰く
「今、成功について作文を書いている」
「僕は将来国語の教師になりたいと思っていて、教師になれたら成功だと思っている」
「だけど、友達には『そんなのは成功じゃない』って言う人もいる」

うん、Hはなぜ国語の教師になりたいと思う?
(一人でも多く「国語」が楽しいと思って欲しいから)
なら、それがHにとっての「成功」だよな。

人によっては「お金持ちになること」が成功だと思う人もいる。
それはその人にとっての「成功」でいい。
「目的」を達成できたら、それが「成功」なんだ。
だから、人によって「成功」とは違うものだ。

ただな、いいか?「目的」と「目標」を間違えるなよ。

例えば、国語の教師になりたいと「目標の高校」を受験して、失敗したとする。
これで「俺(私)はだめだ」なんて思ってしまうことがある。

あくまで「目標の高校」への進学は「教師になるための手段」の一つだよな。
ひとつの「手段」がダメなら、別の手段で「目的達成」を目指せばいい。方法はいくつでもあるはずだ。

人はたやすく「目的」と「目標(手段)」を取り違える。
だから、常に自分の心の中に「目的」を意識し続けなければならないんだよ。

成功と嫉妬

他人に任せるな

いいか?自分で考えて、自分で決めるんだ!

先生がこう言ったから、親がこうしろって言ったから、世間がこうだから。
それじゃダメだ。

大人だって間違えるんだ。先生(私)なんて間違いだらけだ。
だから、自分の頭で考えろ。
自分の命だ、自分で判断するんだ。他人に任せるな。

法話

少林寺拳法を始めてみませんか? ためになること編

少林寺拳法を始めてみてためになることは?

四日市富田道院でのアンケートでは、なんと「易筋行(少林寺拳)」よりも「法話」「仲間との会話、ふれあい」がためになるという結果です。

突いたり、蹴ったりすること以上の、人生においての価値がそこにあるということです。

気軽にお近くの道院、支部を覗いてみませんか?
きっと温かく迎えてくれます。

アンケート結果