法話
Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

「いのち」ってなんだ? 〜その3〜

あぁ、あんな風な人になりたいな。
って憧れを持って、近づく努力をすることはとてもいい事だ。

でもね、憧れの人の様になれなくてもガッカリすることはない、するなよ。
それは、自分は自分以外のものには決してなれないからだ。

ひとりひとりがそれぞれかけがえのない、たった一つの人生を生きている。
君の人生を誰かが、たとえ親であっても、代わりに生きることはできない。
私の人生を君が代わりに生きることもできない。

数億年かけて繋いできた、たった一つしかない自分の「いのち」だ。

あなたはただあなたであるだけで素晴らしい存在なんだ!
他の誰かになる必要は絶対にない!

繋がれてきた、たった一つの「いのち」だ、精一杯生きよう。

鎮魂行

「いのち」ってなんだ?〜その2〜

タイムパラドックスって知ってるか?
(ドラえもん?)
おぉ、惜しいな(笑)

例えば、ある日、ずんぐりとしたネコ型ロボットに「恐竜が見たいよ〜」ってお願いしてタイムマシンで恐竜時代に行ってみる。
恐竜がのしのしと歩き回るジャングルで君は小さなネズミを踏み潰してしまう。

普段ならどうってことない話しだ。
しかし、そのネズミのような哺乳類が君の遠いご先祖さまだったら、君はどうなる?
君は生まれてこられなくなる。

いいかい?
私たちは遥か数億年前、太古の海にぷかぷかと浮かぶ小さな単細胞の生命から始まり、今の自分に至るまで絶え間ない「いのちのリレー」でここに私たちは存在する。
どこかひとつでも「いのちのリレー」が途切れるたら私たちは今、ここにいないんだ。

遥か数億年、途方もない年月の結果として今の「いのち」がある
そう思うと、ただここに生きているだけで、ただそれだけでとても奇跡的な存在だとは思わないか?

法話

(続く)

「いのち」ってなんだ? ~その1~

「いのち」ってなんだ?
 
私は先日、職場で脳死移植の講演会を受けた。
私が脳死になれば、私の心臓だって誰か困っている人にあげられる。
でも、それは私が「いのち」をあげたわけではない。
そこに「私」という存在はもうないからね。
 
「いのち」は誰しもがひとつしか持っていないものなんだ。
スーパーマ◯オのように3つとかないんだ(笑)
 
ひとつしかないから自分の「いのち」は大事なもの。
ひとつしかないから相手の「いのち」は大事なもの。
だから、捨ててもいけないし、奪ってもいけない
祭壇

そこはゴールではなくスタート地点だ

私が以前に観た映画にこんなセリフがあった
「大いなる力には大いなる責任が伴う」

…なるほどなって思ったよ。

少林寺拳法の黒帯を締める(有段者になる)ってことは、その力に即した責任があるということだ。
多くの人が初段取得を目標にして、初段を取ったら離れて行く者も多い。しかし、それは違う。
初段を取ってから初めて自分の修行が始まる。

ここはゴールではなく、ここからようやくスタートなんだ。

たった今、彼はその大きな責任を負ってスタート地点に立ったところだ。
その黒帯の重さを自覚してこれからも修行して行って欲しい。

今日は初段允可状授与式。

初段允可上授与

一期一会

袖ふれあうも他生の縁という。
すれ違って袖が少しふれあう様な相手でも他生からの縁だということだ。
 
でも、袖がふれあってすれ違うだけでサヨナラでは寂しいもんだ。
こうやって、何かの縁があってみんなと会っている。
なら、どうせなら、自ら縁を繋いで価値あるつながりにしよう。
 
せっかく出会った相手だ、ほんの少しの時間でも相手から何かを分けてもらおう。
って、財布は取るなよ(笑)
相手のいいところ、見習うべきところ、相手の経験、知識を分けてもらおう。
 
お金は使えばなくなる。
でも、自分の身体に染み込ませたものは無くならないし、誰にも盗られない。
 
縁あって私と会ったんだ、なら有意義なものにして欲しい。
「あの先生、面白かったなぁ」
っていつか思い返してもらうだけでも私はいいけどね(笑)
 
いい出会いはもちろん、悪い出会いからも何かを学び取って行ってください。
一期一会

君は未来の自分のために、今、どんな種を蒔く?

お釈迦さまが言った言葉のひとつに「自因自果」というのがある。
 
ここで「因」とは「種」、「果」とは「果物」
自分が蒔いた種から実った果実を自分が食べるということ。
 
バーっと種を蒔いて、あとは面倒臭いからほったらかしで家で寝てよ〜っと
鳥が来て突いても、日照りで干上がっても面倒くさい、面倒くさい。
こんな事で、まずもって果物がなるか?(笑)
小さな、カスカスの果物を食べなくてはならなくも、それはサボった自分の責任だ。
 
ちゃんと種を蒔いて、水と肥料をあげて、手入れをしたら、甘くて美味しい果物ができるはずだ。
そりゃ、たいへんな事だよ。
 
特にまだ未成年の君たち、大人になるまでにやった事がその後の自分を作る。
例えば先生は学生時代長距離の選手だった。50歳になった今でも身体は長距離ランナーのそれだ。
身体に限った事ではない、成年するまでに培ったものがゆくゆくの自分を作る。
だから、たいへんだけど一所懸命自分を鍛えなさい。
 
君は未来の自分のために、今、どんな種を蒔く?
自因自果

自分が大切だから

私がこの四日市富田道院で学んだことは「自分を大切にすること」。
私という人間は他に誰もいない、唯一の存在なのです

私は道院長によく「頑張ったからシュークリームを食べな」って言ってもらいました。
頑張った自分を認めてあげてご褒美をあげる。
これはとても大切なこと。
だけど、いつもご褒美だけだとどうなる?
(太る〜)
そうだね、いつもご褒美ばかりだと良くないよね。
自分の夢に向かって、なりたい自分を目指して、時には自分に厳しく背中を押すことも大切。

私という存在が大切なら、同じだけあなたという存在も大切だって気がつく。

私はみんなの成長していく姿を見ることがとても嬉しい。
これからも、自分を大切に、時にご褒美をあげて、時に厳しく背中を押して、成長していってください。

助教による法話

終戦記念日に思う

今日は終戦記念日。

人類は戦争を止める事は永遠にできないでしょう。

人は「戦争をする生き物」としてできているからです。

前にも言った様に自然界ではか弱い生物である人類は「群れ」を作ることで生き延びてきました。

「群れ」の「存続」が生き残りの絶対条件になります。

この群れを存続する条件が「正義」と呼ばれているものになります。

異なる「群れ(国家・民族)」の間ではそれぞれの「正義(存在条件)」は当然ことなり、それぞれの「群れ」を存続させようと「正義の衝突(戦争)」が起こるのです。

 

人類が「戦争をする生物」であるからこそ、努力して戦争をしないようにしなければなりません。

意識して、努力して、知恵を合わせて、少しでも戦争を回避していきましょう。

私たちは他人を愛することができるようにも作られているからです。

本堂

他人を批難する人って

新型コロナウイルスに感染した人に対して、攻撃するのは人として「当たり前」の事なんだよ。

〜 〜 〜
人間はね、コミュニティ(群れ)を壊そうとする存在を攻撃するように出来ている。

他の動物と比べて、牙もない、爪もない、走るのも遅い、泳ぐのも遅い、力も弱い、そんな存在である「人」が生き残るにはどうしたらいい?
か弱い生物である人類が取った生き残り戦略は「群れ」を作り、助け合うこと。

「群れ」が壊れる事は、即「滅亡」につながる、だから「群れ」が壊れる事、「群れ」からはぐれる事を人は本能的に恐れる。

新型コロナウイルスに感染した人に対して、「感染を拡げてコミュニティを破壊する存在」として攻撃するのは人類として「当たり前」の感情なんだよ。

だからこそ、そんな感情を誰しもが当たり前に持つという事を踏まえて、意識して「そんな事態」にならない様に対応しなければならない。

私たちはお互いを幸せにしようとする存在でもあるのだから

法話風景

子どもと大人の違い

子どもと大人の違いってなーんだ?
世の中には「見た目は大人、中身は小学生」なんてのがたくさんいる。

子どものことを「ガキ」なんて口汚く言うよね。
「ガキ」ってのは「餓鬼」「餓えた鬼」って書く。
つまり「なんでも欲しい」んだ。

誰かに何かあげる訳じゃなく、なんでも「僕が!僕が!」って欲しがる。
これが「餓鬼(ガキ)」、つまり子どもだ。

大人ってのはその反対で、他人に施しができる人なんだ。
でもね、誰かに何かをあげるには自分がそれだけの物を持っていなければならない。
君たちは今はその力をつける時期なんだ。

今は大人からもらっていていい。
でもね、いつか他人が喜ぶような事ができる大人になってください。

子どもと大人の違い