海蔵子ども食堂さんに呼んでいただき、少林寺拳法の体験会と絵本読み聞かせをさせてもらいました。

みんな喜んでミットを蹴ったり突いたりしていました。
中には未経験ながらミットを持っていた道院長がビックリするような蹴りをする子がいたり。

夏らしいチョッピリ怖くて、楽しい絵本を子どもたちと一緒に楽しんできました。
海蔵子ども食堂さんに呼んでいただき、少林寺拳法の体験会と絵本読み聞かせをさせてもらいました。
みんな喜んでミットを蹴ったり突いたりしていました。
中には未経験ながらミットを持っていた道院長がビックリするような蹴りをする子がいたり。
夏らしいチョッピリ怖くて、楽しい絵本を子どもたちと一緒に楽しんできました。
Q.四日市富田道院の魅力は?
A.みんなと一緒に四日市富田道院を作ってきて、自分で道院の魅力を言うのもおかしいんですけど(笑)
うち(四日市富田道院)の魅力って「一言、声を掛けたら集まってくる」ってところじゃないですね。
多くの人は少林寺拳法から一度離れると戻ってこれないんです。
でもここ(四日市富田道院)は来たくなるのかな?って思うくらい来やすいのかな。
休眠している拳士に街中で見かけたら「また道院に来てよ」って声をかけているんです。
それを言える立場だと思うし、言わないといけない立場だと思っているの。
私が声をかけることで休眠中の拳士も道院に来やすいだろうなぁって。
母として少林寺拳法の魅力は「精神的」なところですね。
5段受験時に宗教の勉強もして、「金剛禅運動とは」を勉強しました。
子育てってイチから人格を作るわけで、そこで「金剛禅を実践できたらすごいよね」って思ったんです。
でも3人の子どもがいて、全員が全く同じ人格ができるわけでもないけど、子育てに金剛禅の考え方は役に立つわけですよね。
子どもたちを導くうえでも「これ(金剛禅)は活用するべき」って思ったんです。
イチから子育てをするうえで、金剛禅運動を基本に「こういう風に教えていく」「こういうことを教えていく」って実践していけばもうちょっと素直な子になるんじゃないか、人のことを思いやれる子になるんじゃないかって期待度がとても高かった。
それを実践して、たくさんの人に広げられたらいいなって。
少林寺拳法の魅力はいろいろありすぎて(汗)。
技は当然面白い、あと、人との関わり方が面白い。
道院の中だけでなく、武専(武道専門学校)行ったりしたときに他の先生に「私、腰が悪いので」って治してもらったり、それがきっかけでいろんな先生とお話ししたり、仲良くなったり、女性拳士だけで交流が深まって、一緒に飲みにいったりできて。
そういうところで同じ考えをもった人、同じ方向を見ている人の話しは面白い。
その人と話しをすることで、その人の考え方を自分の中に取り入れ「あぁ、こういうことができるんだ」とか「こういうことで頑張っているんだ」って感じたりすることができるのが魅力かな。
Q.復帰していきなり副道院長を任されたときの想いは?
A.それまで(西村先生と)一緒に四日市富田道院をやってきた拳士には申し訳ないなぁ、って想いもありました。
でも、女性が道院にいるってことが、その道院にとって影響が大きいということは知っていたので。
道院長が女性であったり、サポートする女性拳士がいることによって道院の雰囲気が違ってきて、入門がしやすくなったり、女性拳士が増えたりするなどを、聞いたり、知っていたので「私が副道院長を受けることで女性が入ったり、女の子が入門してくれると嬉しいなぁ」って思いました。
私がずっと女性一人でやってきましたので、ちょっと寂しいなって想いを感じていました。ここで「女の子をひっぱっていきたい」って想いもありました。
<道院長コメント>
國見さん(女性)が副道院長をしてくれることは、男性の私にできないことをやってくれているので本当に助かっています。
例えば以前にこんなことがあったんです。。。
修練中にふと気が付くと低学年の女の子が國見副道院長に抱きついて、ずっと泣いているんです。どうやら彼女は技が思うようにできなかったのが悔しかったようで。
女の子を抱いてあやすなんて、男性に私にはとうていできない(下手すりゃセクハラで訴訟もんになる)
私の知らないところで、ずいぶんと助けてもらっています。
四日市富田道院に見学に来てみたら、道院長は新しく代わったばかりで、他に大人は二人しかいなくて、あとは少年部ばかり。
そこへ、うちの子を3人も同時に入門させたら「これはたいへんなことになるぞ」って思って。
大人が少ないなか、少年部がたくさんいて、そこに自分の子を入れて、それで知らん顔はできないなって。
経験者、有段者としての責任があるわけじゃないですか。
あとから「実は経験者で」なんて言うくらいなら、一緒に入るのがいいだろうと思って復帰を決めました。
うちは、子どもが女の子3人、同じ女性として、私も痴漢にあったり、生きていくうえで嫌なこともたくさんあって、自分の身くらいは自分で護れるくらいの技術であったり自信であったりを持たせてあげた方がいいのかな?って思っていました。
親としても子どもたちが心配だし、少林寺拳法をやらせておきたいと自分の中にありました。
一番上の子が4年生になったころは、一番下の子が幼稚園の年長になった時期で、3人の子がいっせいに始めるタイミングだと思ったんです。
子どもたちが始めるタイミングで復帰するかどうかはとても葛藤があって、実は「できることなら復帰せずに」って思っていました(笑)
本当は三段で終わるつもりでいたんですけど、父が「せっかくだから四段をとろう」というので一緒に四段をとったんです。
私は「もう四段で(少林寺拳法は)おしまい」って思っていたんですけど、また父が「頼むから五段を取りに行こう!」と言いだして(笑)、半分は親孝行で五段を受けに行きました。
でも、五段を授与いただいたあと、出産と子育てで休眠することになりました。
一番上の子が小学4年生になったばかりの頃に、案の定、父が「女の子だしそろそろ(少林寺拳法を始めた)どうだ?」って言いだして。「あぁ、いよいよその時期が来たな!」って、しかも、私の中にも考えがあって。
(続く)
13歳のころに少林寺拳法を始めて29歳のころに五段を取得しました。
長く続けられてこられた理由はあまりガツガツやってこなかったことかな?
のんびり行きたいときに行くことが許された環境でしたので。
中学生2年生のころに名古屋の方から四日市市へ引っ越してきたけど、道院はそのまま名古屋に通っていました。道院に行くついでに、名古屋駅周辺をうろうろとするのが楽しくて、そんな不純な動機もあって続けていました(笑)
中だるみもあったりして、「道院に行くのがだるいな」って時もあったけど、でも、道院に通うのが嫌だったわけでもないから、道院には顔を出していましたね。
道院にはお兄さん的な存在の人もいたし、技も初段をとって二段くらいになるとだんだん面白味もましてきて、高校卒業くらいに三段をとったのですけど、その頃には少林寺拳法が楽しくなってきていました。
少林寺拳法の楽しさと、一方で「面倒くさいな」って感じもあって、名古屋駅周辺でぶらぶらしてから道院に行っていました。
当時の先生も「ちゃんと来なきゃいけない」とか「修練しないさい」って言う人でもなく、無理せず通うことをさせてもらっていました。
Q.國見副道院長が少林寺拳法を始めたきっかけは?
A.父に誘われたのがきっかけで始めました。
最初は小学4年生のころに一度、見学に行ったんですけど、その時は父の仕事が忙しくて、いったん諦めました。
でも、父がどうしても少林寺拳法をやりたいということで、私が中学一年生になるちょっと前くらいに、再度、道院を訪ねて、そこで始めることになりました。
その頃の私は「少林寺拳法って、ちょっとかっこいいかな?」って程度の思いでした。
思春期でしたけど、当時、通っていた中学校が荒れていて、いわゆる不良がいるようなところだったので、不良に絡まれても大丈夫なようにって思いもありました。
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