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Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

なんのために少林寺拳法を修行するの?

「先生、護身術として、この技はやりすぎだと思うんですが?」(中学生拳士)
おぉ、少林寺拳法が護身術なら確かにやりすぎだな。

でもな、私たちは少林寺拳法を護身術としてやっているんじゃないぞ。
ここは金剛禅総本山少林寺、言ってしまえばみんな修行僧だ。
少林寺拳法はあくまで「行」のひとつとしてやっているんだ。

拳禅一如って言葉があるよな。
拳は肉体を、禅はこころを意味するんだよな。
一方、拳=拳技の修行は禅=坐禅と同じだって意味もある。
拳技のことを「動禅」って言い方もある。

じゃぁな、何事も「目的」と「目標」と「手段」があるはずだ。
私たちは何を目的として修行しているんだ?
〜(続く)〜

修練風景

拳技を修練するだけの場所ではなく

修練が終わってから大人は大人で話し込んでいます(^◇^;)

私たちはこんな時間を大事にしています。
ここは拳技の修練をするだけの場所ではありません。

人が集う場所です。

大人の集まり

ゴールデンウイークの修練

ゴールデンウイークは4月29日を除いて通常どおり修練を行います。

鎮魂行

身体とこころを同時に鍛えます

拳禅一如
拳は肉体を表し、禅は精神を意味する。
身体とこころを同時に鍛えてなければならないということ。

白帯の頃から拳技だけでなく、心のありようも教えられます。

私たちは人づくりをしています。

学科

ゲスト参加がありました。

金曜日の修練には隣県愛知県から高速道路を使ってまでゲストが遊びに来てくれました。
一緒に修行です。

四日市富田道院はいつでもゲストをお待ちしています。

出稽古

自信を与える指導

O助教、結婚して道院から30kmほど離れた場所に住んでいるんですが、久しぶりに参座。
久しぶりとはいえ、褒めて、側から自信を与える、それでいてポイントを押さえた指導は健在。
道院長が目を細めて嬉しそうにその姿をみていました。

私たちは人づくりをしています。

演武指導

「怒り」の感情ってズルくない?

アメリカのアカデミー賞の舞台で俳優が司会を殴った事件があったね。
司会に自分の奥さんを茶化されたからって。
あれ、みんなはどう思う?
 
喜怒哀楽って人の感情を表す言葉がある。
これのね、「怒」、怒りって感情はね先生(私)はおかしいと思うんだ。
例えば「カッとなって暴力を振るってしまいました」ってニュースでよく聞くよね?
でもさ、「カッとなって」反社会勢力の人に殴りかかった人って聞かないよね。
腹が立ったからって、銃を構えた人に素手でかかって行く人いるか?
おかしいよな?怒りで我を忘れるなら相手構わず向かって行くハズだよな。
 
「カッとなって」って怒る時には「コイツには怒っても大丈夫だぞ、自分は危害を加えられないぞ」って冷静な判断が頭のどこかにあるんだ。
つまり人間は「自分より弱い相手」にしか「怒り」を覚えない。
先生(私)はそこがズルいと思う。
 
さっきの司会を殴った俳優、先生(私)は殴ってはいけないと思う。
あれだって、司会が銃を構えていたら殴ったりしなかったはずだ。
俳優はどこか、ズルい、冷静な計算があって怒ったはずだ。
 
「言葉の暴力はよくて、肉体的な暴力はダメなんですか?」
なんて言われるけど「同じ舞台で争ってはダメ」なんだぞ。
少林寺拳法の技でも同じだろ?
相手の力の強いところでやり合ったら、それは力比べだ。ただ力が強い方が勝つ。
相手が弱く、自分が強くなる位置に持っていく。
例えば、さっきの場合だと、俳優は「司会の言葉を撤回するまでは賞を受け取らない」って言えば、司会とそれを選んだ運営側が一方的に責められることになる。
少林寺拳法の技法を、ただの「エイ、ヤー」だけに使っていてはなんの意味もない。
日常生活に活かして初めて意味が出てくる。
法話

イライラするのは?

「あの飴買って〜」
って駄々をこねる小さい子いるよね?
じゃぁ、同じことを大の大人が街中でしてたらどう思う?
カッコいいか?
 
先生(私)な、ちょっと前に病院の会計待ちが遅くって、イライラしたことがあってね。
そこでね(あれ?どうしてイライラしているんだろう?)って考えたんだ。
 
それはね「俺の思い通りにしてくれって」って勝手な思いなんだ。
 
病院の人はね、ちゃんと手順を踏んでお金の計算をしているハズなんだ。
それをね
「ヤダヤダ、俺の順番を早くしてくれないとやだ〜」
自分の思い通りにならないことを自分の思い通りにしたいからイライラしたんだ。
これって、さっきの駄々をこねる子どもと同じだよね?
カッコいいか?
 
世の中、何ひとつ自分の思うようになんかならない。
そりゃそうだよなぁ、世の中、自分のためにあるわけじゃないもん。
 
学校で、職場で、街中でイライラして怒鳴っている人、あれぜ〜んぶ「飴買って〜」って泣いて駄々をこねる子どもと中身は同じ!
みっともないよなぁ。
あんな風ににはなりたくないよな。
法話

遊びも学びです

休憩時間のチャンバラゴッコも子どもたちにとっては大事な社会性を学ぶ場です。
今日も子どもたちは息を切らせて楽しんでいました。

チャンバラゴッコ

車座になって

今日は道院長の法話を受けて「自分はどう思うか?」を修練後に車座になって話し合っていました。

こんな時間こそを私達はとても大切にしています。

私達はひとづくりをしています。

車座