中学生が少年部を指導しています。
彼らの指導を観ていると…
(当たり前ですが)自分が指導されたように指導しています。
教える側が持たなければならない責任の重さにハッとした瞬間です。
ちなみに彼らは優しく噛み砕いて、少年部に寄り添う指導していましたよ。
私たちは人づくりをしています。
◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
中学生が少年部を指導しています。
彼らの指導を観ていると…
(当たり前ですが)自分が指導されたように指導しています。
教える側が持たなければならない責任の重さにハッとした瞬間です。
ちなみに彼らは優しく噛み砕いて、少年部に寄り添う指導していましたよ。
私たちは人づくりをしています。
修行の目的は何だ?
何事も「目的」があるはずだよね。
その「目的」を達成するためにあるのが「手段」だ。
じゃぁ、私たちが少林寺拳法を修行する目的は何だ?
開祖はよく「お前たちは昭和の桃太郎になれ」とおっしゃっていたらしい。
今で言うと「令和の桃太郎」だね。
桃太郎の物語はみんな知っているよね?
じゃぁ、開祖が言う「桃太郎になれ」ってどういうことだ?
それはね
・鬼の悪行に憤る「正義感」
・独りでも鬼退治に出た「勇気」と「行動力」
・謝る鬼を許す「慈悲心(優しさ)」
これを持てと開祖はおっしゃるわけだ。
これを持つために私たちは少林寺拳法を修行しているわけだ。
それを、やれ「俺は演武が上手い」だの「乱取りが強い」だの。
そんな自慢する人は少なくとも四日市富田道院には要らない。
そんな人を作るために指導はしていない。
覚悟を決めるってあるよね、あれなんだ?
これ両方とも「覚る(さとる)」「悟る(さとる)」だよね。
何を「さとる」んだ?
これはね「世の中は全部苦しみだ」(一切皆苦)と、さとるってことなんだ。
どういうことかというとね。
ここにお風呂があるとする。熱湯風呂だψ(`∇´)ψ
知らずに入ったらどうなる?
アッツゥゥ ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
ってなるよな。
でもさ、入る前から「このお風呂は熱いぞ」って言われて入れば、我慢できるもんだよな。
そんなもんだ。
世の中、自分の思うようになんかならない。当たり前だよな、そんなに都合よくできていない。それを勘違いして都合よく考えるから嫌なことが多く感じるだけ。
もともと思うようになんかならないって思って生きてごらんよ、毎日楽しいぞ。
今日はこんな面白いことがあった、こんな楽しい話しができた。
人生は熱湯風呂みたいなもんだ。
熱いと覚悟していれば、結構楽しめるもんだ。
今日は愛知県からゲストが遊びに来てくれました。
本山へ行っている道院長からの指示で四日市富田道院名物「ゲストへ丸投げ」(^◇^;)
とても楽しい時間になりました〜
四日市富田道院では「遊び」に来てくれる人はいつでもウェルカムです。
本日、初段位の允可状授与式を行いました。
いつも言っているけど、いいか、黒帯(有段者)なんて社会に出れば何の意味もないからな。
「俺は四段だ、五段だ、すごいんだ、偉いんだ!」
アホか?
黒帯(有段者)取ったら道院を辞めるって言うのもいるけどな、黒帯(有段者)になってからこそ初めて自分自身の修行が始まるんだぞ。
黒帯(有段者)だからこそ、自分と向き合い、自分の人としての質を高めるということに努めなければならない。
「さすが黒帯(有段者)」
と言われるように、技術、知識、そして何より人格を磨かなくてならないんだよ。
質問 先生がよく言う「面白おかしく生きる」コツってなんですか?
喜劇王って言われるチャールズ・チャップリンの言葉に「人生はクローズショットで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」ってのがあるんだよ。
生きていれば辛いこと、苦しいことがいっぱいある。でもねそれを一歩引いて遠目で眺めて「くだらないw」って笑えるといいよね。
私だって辛いことがいっぱいある。そのことだけに集中すると、そりゃ苦しいよね。
それを「こんなことがあってさ(笑)」って友達に笑い話として話すんだよ、そうすると友達も「お前バカだなぁ(笑)」って笑ってくれる。その笑っている友達を見て(あぁ、やっぱり悩むほどのことがないくだらない事なんだな)って自分で思えるようになるんだよ。
辛いこと、苦しいことを一緒に笑い飛ばしてくれる友達をひとりでも持つこと。
これが「人生を面白おかしく生きる」コツ。
(道院長誕生日会より)
先週金曜日は道院長の52回目の誕生日でした。
保護者にもご協力をいただき、修練後にサプライズでみんなで誕生日をお祝いしました。
道院長は終始とても照れながら、とても嬉しそうでした。
今日は朝から宗道臣デー、社会活動の日です。
近鉄富田駅周辺の清掃をみんなでしました。
道院の中で突いたり蹴ったりしているだけでは意味がありません。
社会に活かしてこそ初めて意味が出てきます。
今日は開祖忌法要を執り行いました。
(道院長法話)
私たちは血こそ繋がっていないが、道の上での開祖宗道臣先生の子であり孫である。
全ては開祖の想いから始まっている。
開祖はただの武道の一派として少林寺拳法を始めたのではない。
人づくりの行として少林寺拳法を始めたのだ。
もしこの中で「私は大会で上位に行きたい」「乱取りで強くなりたい」なんて思っている人がいるなら他所へ行った方がいい。
私はそんなのは教えられない。
一緒になって自分の人の質を上げるということを行なっていき、それを社会に還元して行く。
社会に活かすことができないのであれば意味がないから。
少林寺拳法の拳士が守るべく約束ってあるよね。
みんな全部言える?
「却下省己(履き物を揃える)、合掌礼(挨拶)、作務(掃除)、正しい服装、正しい言葉使い、正しい態度」
これね、何もここ(道院)だけのことじゃないんだよ。
これはね、社会に出てから大事な事なんだ。
これができない大人はダメな大人なんだ。
例えば、さっきT君が出欠簿を先生に片手で渡していて注意されたよな?
目上の人には丁寧に両手で渡しなさいって。
「えーっ、でも学校じゃぁそんなの教えてくれないよ~」
そりゃそうだ、こんなのは学校じゃぁ教えてくれない。
だから、ここ(道院)で覚えて行くんだ。
ここ(四日市富田道院)はどれだけ間違えてもいい場所だ。
間違えて、間違えて、それで覚えて大人になって行きなさい。
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