上級者が下級者を指導します。
下の者を教えることで、自分の技術はもちろん、生きる姿勢を見直すことが求められます。
そこに学びがあります。
金曜日は中学生有段者が小学生を教えていました。
道院長も含め私たちは皆が等しく修行者です。
◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです
上級者が下級者を指導します。
下の者を教えることで、自分の技術はもちろん、生きる姿勢を見直すことが求められます。
そこに学びがあります。
金曜日は中学生有段者が小学生を教えていました。
道院長も含め私たちは皆が等しく修行者です。
ゴールデンウィーク期間中に関わらずたくさん修練に参加!
せっかくなので道院長から子ども達にアイスの差し入れ。
みんな嬉しそうに頬張っていました。
何も言われなくても子ども達は黙食。
ほんとはワイワイと騒ぎながらみんなで食べるのが楽しいのにね。
コロナ禍で子ども達には我慢させていますね(-_-;)
「じゃぁ先生は何のために少林寺拳法をやっているんですか?」(中学生拳士)
まずは、開祖宗道臣先生(以下「開祖」)が何を目的として金剛禅総本山少林寺を創始されたか?
そこが全ての原点だよな。
開祖は敗戦間もない日本を見て「人づくりによる国づくり」を目的として創始されたんだよな。
「人、人、人、全ては人の質にある、ですか?」
そうだね、全てが人の質にあるならば、より良い国を作るには1人でも多く勇気と慈悲心と行動力のある人を育てなければならない。
だから、私たちは自分達の「人としての質」を上げることを「目的」として金剛禅を修行するんだよな。
決して腕力の強い人、「エイ、ヤァ、どうだ俺は強いだろ?」こんな人になるためにやっているんじゃないよな。
あくまで少林寺拳法はそのための「行」、つまり「手段」のひとつなんだ。
「先生、護身術として、この技はやりすぎだと思うんですが?」(中学生拳士)
おぉ、少林寺拳法が護身術なら確かにやりすぎだな。
でもな、私たちは少林寺拳法を護身術としてやっているんじゃないぞ。
ここは金剛禅総本山少林寺、言ってしまえばみんな修行僧だ。
少林寺拳法はあくまで「行」のひとつとしてやっているんだ。
拳禅一如って言葉があるよな。
拳は肉体を、禅はこころを意味するんだよな。
一方、拳=拳技の修行は禅=坐禅と同じだって意味もある。
拳技のことを「動禅」って言い方もある。
じゃぁな、何事も「目的」と「目標」と「手段」があるはずだ。
私たちは何を目的として修行しているんだ?
〜(続く)〜
修練が終わってから大人は大人で話し込んでいます(^◇^;)
私たちはこんな時間を大事にしています。
ここは拳技の修練をするだけの場所ではありません。
人が集う場所です。
ゴールデンウイークは4月29日を除いて通常どおり修練を行います。
拳禅一如
拳は肉体を表し、禅は精神を意味する。
身体とこころを同時に鍛えてなければならないということ。
白帯の頃から拳技だけでなく、心のありようも教えられます。
私たちは人づくりをしています。
金曜日の修練には隣県愛知県から高速道路を使ってまでゲストが遊びに来てくれました。
一緒に修行です。
四日市富田道院はいつでもゲストをお待ちしています。
O助教、結婚して道院から30kmほど離れた場所に住んでいるんですが、久しぶりに参座。
久しぶりとはいえ、褒めて、側から自信を与える、それでいてポイントを押さえた指導は健在。
道院長が目を細めて嬉しそうにその姿をみていました。
私たちは人づくりをしています。
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