背の小さな助教、自分の背を追い越した子どもたちに、それはそれは嬉しそうに技術を教えています。
他人の成長を自分のこと以上に喜ぶ。
あなたが笑うと私も嬉しい。
それが四日市富田道院です。
背の小さな助教、自分の背を追い越した子どもたちに、それはそれは嬉しそうに技術を教えています。
他人の成長を自分のこと以上に喜ぶ。
あなたが笑うと私も嬉しい。
それが四日市富田道院です。
大人も子どもも、みんなで和気あいあいと。
あ、手を繋いでスクワットです(^_^;)
決して変な儀式じゃありません。
この距離感の近さが四日市富田道院です。
私たちは大きな家族のような存在でありたいと願っています。
昨晩は奈良県のI先生のもと過去に修行を積んできたO拳士の神回でした!
技のえぐさが強いんじゃ( ̄▽ ̄;)
えっと、なんか変な儀式してるんですけど(^◇^;)
注:ただの腹筋です(爆)
禅宗のお寺の入り口に「脚下照顧」と掲げられていることがあります。
単純に「履物を揃えなさい」という意味でしか捉えられないことが多いですが、私は「脚下(あしもと=今自分がいる場所)から、己を顧みなさい」という意味にとっています。
自惚れてもだめ、卑下してもだめ、自分の立っている位置を過不足なく客観的にみることはとても難しいことです。
しかし、自分の今いる場所を知っていなければ目的地には辿り着くことはできません。
目標に対して足りないところは足す努力をする、足すことができなければ他の方法を考える。
現在地と目的地が分かれば先に進む方法はいくつでもあるのです。
スヌーピーは自分が犬であって人間でないことを嘆いてはいません。
どういうことであれ現実を受け入れ、そこから始めなければ、一歩も前には進まないのです。
(画像引用:マイナビ)
できないことの言い訳を他人に求めていないか?
お母さんのその言い方が悪い、学校の先生が悪い、なんて。
じゃぁ、学校を出て独り立ちしたらどうする気だ?
今度は上司が悪い、社会が悪いか?
いいよ、そうやってずっと他人のせいにして生きていっても。
私はもちろん、お母さん、お父さんだって、君の代わりに生きていくことはできない。
自分の人生は自分で生きていくしかないんだ。
いいか?人は死ぬことと同じように避けられないことがもう一つあるんだ。それが何かわかるか?
生きるってことだ。
人は死ぬまで生きていかなくてはならない。
なら、どうせなら、自分で自分の人生を生きていこうと思わないか?
く
どれだけ忙しくても一人一人の拳士と向き合う様に努力しています。
門信徒の拳士にとって「今」が全てであり、「また今度」なんてありません。
まだ幼いこの子には「自信」という小さなブロックを一個一個積み上げて、少し大きくなったこの子は土台ができてきたけどまだふわふわしているから少し形を整えてあげて、この子は自信を無くしているから少し寄り添ってあげて。
一人一人の人生と真摯に向き合う、それが道院長です。
行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。
だから、諦めるな。独りでは厳しいなら助けを求めなさい。
必ず誰かが手を差し伸べてくれる。
〜〜〜〜〜
私が子どもの頃、ティラノサウルスと言えば怪獣の様に二足歩行でした。
今は違うでしょ?しかも羽毛まで生えていたらしい。
さらに羽毛の生えた恐竜は生き残って鳥になったって。
なんで恐竜は鳥になって空を飛べる様になった?
(進化したから)
じゃ、なぜ進化したの?
(生き残るため)
そう、生き残るため。
地上では環境の変化について行けない恐竜たちは絶滅して行った。
「もうダメだ」と思った時、上を見上げて「空という新しい世界がある」と諦めずに飛ぼうともがいた者が鳥として生き残った。
これね、私達でも同じ。
君たちも私も、これから何度でも、何度でも、何度でも行き詰まる。
そこで「もうダメだ」って諦めたら絶滅した恐竜と同じ、終わってしまう。
行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。
ひょっとしたら、ほら、あの扉が「どこでもドア」で新しい世界に繋がっているかもしれない。
(そんな事ないよ笑)
どうしてだ?それはドアをくぐってみないと分からないだろ?
独りで厳しいなら「助けて」と声を出しなさい。
私でも、周りの大人でも、必ず誰かが手を差し伸べてくれる、助けてくれる。
だから、苦しい時に「助けて」と言える様になりなさい。
例えば、先生が女の人にビンタされているとする。
可哀想なのは先生か?女の人か?
(女のひと〜)
なんでや!
じゃ、S拳士が女の人に叩かれている。
可哀想なのはS拳士だよね。
でもさ、実はS拳士がこの女性に散々いたずらして悪いことして騙して、ようやく女の人がS拳士を捕まえて叩いたところだとする。
どう思う?どっちが可哀想?
人間はね、「正義」を行うと気持ちいいんだ。
「正義」を行うと脳に気持ち良くなる「化学物質」が流れるようになっている。そういう風に脳ができている。
これはね大人の世界でも同じで「いじめ」が起きる構造なんだ。
昔話の「桃太郎」、鬼の立場からすれば、いきなり人間が襲ってきて、根こそぎ財産を奪って行かれる。
ひょっとしたら鬼には鬼の事情があるかもしれない。
「めでたし、めでたし」
なんかじゃない。
だから「自分が正義」だと思う時、それは「危ない」時なんだと覚えておいて欲しい。
ほんの少しでもいいから相手の気持ちを思いやって欲しい。
そうすれば、最初に言った様な事は起こらない。
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