先週金曜日から始まった道院長による英語の授業。
金曜日修練後に15分だけ開いています。
少林寺拳法で英語を教える?
いえいえ、ここは生涯修行の場です。
拳技(少林寺拳法)も教えれば、学校の勉強も教えます。
私たちは人づくりをしています。
先週金曜日から始まった道院長による英語の授業。
金曜日修練後に15分だけ開いています。
少林寺拳法で英語を教える?
いえいえ、ここは生涯修行の場です。
拳技(少林寺拳法)も教えれば、学校の勉強も教えます。
私たちは人づくりをしています。
子どもたちはこんな遊びから社会性を学ぶので、これもとても大事な時間です。
修練後に輪になって雑談。
実は修練自体よりもこんな時間に意味があります。
私たちは人づくりをしています。
背の小さな助教、自分の背を追い越した子どもたちに、それはそれは嬉しそうに技術を教えています。
他人の成長を自分のこと以上に喜ぶ。
あなたが笑うと私も嬉しい。
それが四日市富田道院です。
大人も子どもも、みんなで和気あいあいと。
あ、手を繋いでスクワットです(^_^;)
決して変な儀式じゃありません。
この距離感の近さが四日市富田道院です。
私たちは大きな家族のような存在でありたいと願っています。
昨晩は奈良県のI先生のもと過去に修行を積んできたO拳士の神回でした!
技のえぐさが強いんじゃ( ̄▽ ̄;)
えっと、なんか変な儀式してるんですけど(^◇^;)
注:ただの腹筋です(爆)
禅宗のお寺の入り口に「脚下照顧」と掲げられていることがあります。
単純に「履物を揃えなさい」という意味でしか捉えられないことが多いですが、私は「脚下(あしもと=今自分がいる場所)から、己を顧みなさい」という意味にとっています。
自惚れてもだめ、卑下してもだめ、自分の立っている位置を過不足なく客観的にみることはとても難しいことです。
しかし、自分の今いる場所を知っていなければ目的地には辿り着くことはできません。
目標に対して足りないところは足す努力をする、足すことができなければ他の方法を考える。
現在地と目的地が分かれば先に進む方法はいくつでもあるのです。
スヌーピーは自分が犬であって人間でないことを嘆いてはいません。
どういうことであれ現実を受け入れ、そこから始めなければ、一歩も前には進まないのです。
(画像引用:マイナビ)
できないことの言い訳を他人に求めていないか?
お母さんのその言い方が悪い、学校の先生が悪い、なんて。
じゃぁ、学校を出て独り立ちしたらどうする気だ?
今度は上司が悪い、社会が悪いか?
いいよ、そうやってずっと他人のせいにして生きていっても。
私はもちろん、お母さん、お父さんだって、君の代わりに生きていくことはできない。
自分の人生は自分で生きていくしかないんだ。
いいか?人は死ぬことと同じように避けられないことがもう一つあるんだ。それが何かわかるか?
生きるってことだ。
人は死ぬまで生きていかなくてはならない。
なら、どうせなら、自分で自分の人生を生きていこうと思わないか?
く
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