どれだけ忙しくても一人一人の拳士と向き合う様に努力しています。
門信徒の拳士にとって「今」が全てであり、「また今度」なんてありません。
まだ幼いこの子には「自信」という小さなブロックを一個一個積み上げて、少し大きくなったこの子は土台ができてきたけどまだふわふわしているから少し形を整えてあげて、この子は自信を無くしているから少し寄り添ってあげて。
一人一人の人生と真摯に向き合う、それが道院長です。
どれだけ忙しくても一人一人の拳士と向き合う様に努力しています。
門信徒の拳士にとって「今」が全てであり、「また今度」なんてありません。
まだ幼いこの子には「自信」という小さなブロックを一個一個積み上げて、少し大きくなったこの子は土台ができてきたけどまだふわふわしているから少し形を整えてあげて、この子は自信を無くしているから少し寄り添ってあげて。
一人一人の人生と真摯に向き合う、それが道院長です。
行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。
だから、諦めるな。独りでは厳しいなら助けを求めなさい。
必ず誰かが手を差し伸べてくれる。
〜〜〜〜〜
私が子どもの頃、ティラノサウルスと言えば怪獣の様に二足歩行でした。
今は違うでしょ?しかも羽毛まで生えていたらしい。
さらに羽毛の生えた恐竜は生き残って鳥になったって。
なんで恐竜は鳥になって空を飛べる様になった?
(進化したから)
じゃ、なぜ進化したの?
(生き残るため)
そう、生き残るため。
地上では環境の変化について行けない恐竜たちは絶滅して行った。
「もうダメだ」と思った時、上を見上げて「空という新しい世界がある」と諦めずに飛ぼうともがいた者が鳥として生き残った。
これね、私達でも同じ。
君たちも私も、これから何度でも、何度でも、何度でも行き詰まる。
そこで「もうダメだ」って諦めたら絶滅した恐竜と同じ、終わってしまう。
行き詰まった時、諦めなかったら新しい世界が必ずある。
ひょっとしたら、ほら、あの扉が「どこでもドア」で新しい世界に繋がっているかもしれない。
(そんな事ないよ笑)
どうしてだ?それはドアをくぐってみないと分からないだろ?
独りで厳しいなら「助けて」と声を出しなさい。
私でも、周りの大人でも、必ず誰かが手を差し伸べてくれる、助けてくれる。
だから、苦しい時に「助けて」と言える様になりなさい。
例えば、先生が女の人にビンタされているとする。
可哀想なのは先生か?女の人か?
(女のひと〜)
なんでや!
じゃ、S拳士が女の人に叩かれている。
可哀想なのはS拳士だよね。
でもさ、実はS拳士がこの女性に散々いたずらして悪いことして騙して、ようやく女の人がS拳士を捕まえて叩いたところだとする。
どう思う?どっちが可哀想?
人間はね、「正義」を行うと気持ちいいんだ。
「正義」を行うと脳に気持ち良くなる「化学物質」が流れるようになっている。そういう風に脳ができている。
これはね大人の世界でも同じで「いじめ」が起きる構造なんだ。
昔話の「桃太郎」、鬼の立場からすれば、いきなり人間が襲ってきて、根こそぎ財産を奪って行かれる。
ひょっとしたら鬼には鬼の事情があるかもしれない。
「めでたし、めでたし」
なんかじゃない。
だから「自分が正義」だと思う時、それは「危ない」時なんだと覚えておいて欲しい。
ほんの少しでもいいから相手の気持ちを思いやって欲しい。
そうすれば、最初に言った様な事は起こらない。
このスカポン、何をやっとる!」
ある日、ふざけすぎる少年拳士を叱った道院長、ここから思わぬ反撃を受けます。
少年拳士「?? 『スカポン』ってなにですか?」
道院長(グッ)
虚を突かれた道院長、言葉に詰まってしまいます。
道院長「スっ、スカポンはスカのポンやっ!」
少年拳士「ふーん…スカポンじゃありません!僕にはちゃんと名前があります!」
見事、少年拳士に一本取られた道院長、「うっ、うるさいスカポン」と言い返すのが精一杯でした。
その少年拳士も、今は初段の試験に向けて頑張っています。
道院長がギックリ腰で戦線離脱(ー ー;)
代わりに助教がちゃんと仕切っていました。
昨日は見学者も来て賑やかな修練になりました。
四日市富田道院は道院長が医療機関に勤めていますので、そこで得た科学的な知見に基づく感染対策を実施して修練を行っています。
でも、ギックリ腰には勝てない(^◇^;)
お題は「いかに自分をカッコよく見せられるか?」
中学生から大人まで頭を抱えて「カッコいい自分」を試行錯誤します(^ω^)
さぁ、カッコいい自分を目指そう!
中学生からは一般部として大人の仲間入りです。
今日は元大学少林寺拳法部の拳士と一緒に修練です(^◇^;)
とはいえ、ちゃんと中学生に技術レベルは合わせていますよ。
大人も楽しく修行しています。
白帯さんも楽しみながら頑張っています。
今はぎこちなくても、そのうちにカッコよく動けるようになるんだよなぁ。
道院長の私もこんな風だったなぁって目を細めて見ています。
少林寺拳法は年齢、体力に合わせて修練をしています。
何歳からでも始めて、自分なりに楽しんで修行ができるのが少林寺拳法なんです。
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